情熱大陸で知った教育者は異端の人、宝槻泰伸氏。
37歳5人の父であり、3人兄弟の長男で高1の時学校教育に嫌気がさして中退。
その時から教育関係の父により3兄弟は学校に行かずに京大の道へという経歴となったようだ。
そして塾の先生になった時、再び頭を持ち上げたのがこのままずっと子どもを教えていくのか・・・という引っ掛かりを感じ、子どもを見て思ったのが興味を引き出すこと。
長年にわたって「能力開発」という言葉が多かったが、これからは「興味開発」というひらめき。
「元素」に興味を持ってもらうためには・・・とそこから自分の頭で考えた授業構成。
子どもはゲーム感覚が楽しいはずというわけでカードの導入。
まるでカルタトリみたいに真剣な目で見る子ども、そこにユーモアを入れ込む宝槻氏。
キャッキャと笑いと笑顔がキラキラしている子どもたちは勉強スタイルではないからだ。
その次には元素の形を作るのに、ヒントを与えながら出来上がった形の美しさの確認。
最後は星の世界へと導き壮大な想像力へと導いていく様子に、こんな授業を受けて見たいと思った。
この授業を受けた小1の女の子は物理の世界に目覚めたようだという予想・・・
歴史の授業は無味乾燥であってはならないと考えだされたのが、歴史物語を歌にしていく作業。
その場面は楽しそうにはしゃぐ子ども達を見ながら、ハタと私は向き不向きが出そうだなと思ったら
教師たちの反省会の中で、お祭り騒ぎの後に残るものは?・・・煽りすぎではなかったか・・・などが出されていて、色々教師たちはやっぱりより良い方向性を求めていらっしゃるようである。
最後の場面では音楽を深堀していくために・・・お金もかかる壮大な計画をされていくような暗示。
学校教育、従来の塾教育からはみ出した教育をしようとする新世代が出てきたことを知り
能力を見つけるのは興味の掘り起こしからというところにようやくきたことを嬉しく思いながらも、それにはやっぱり教育にはお金がかかる時代になったからこそ、政府がそこに目を向けていく時が来たはずである。
無償化の前に考えることはあるんだけどと、政治家のトンチンカンさにため息も出る。
縷々ご不満があるようですね。もちろん私とて現状に満足して居ません。
しかし、教育に正しいものがあるのでしょうか。
常に試行錯誤の積み重ねのようですね。
もし、教育を変える力があるとすれば それは、子どもと親たちの力の様な気がします。
どの子も賢く大きく育って欲しい。 友だちとたくさんの喜びを分かち合いたい事が 親の 子どもの願いではないでしょうか。
であるならば、現場ファーストですよね。
毎日のささやかな喜びや悲しみが、担当の先生方と共有できれば サツバツとした現場にはならないはずです。
教育者が感受性を失い 上級管理職に向かって居ては、親も子も置き去りにされてしまいます。そこにどんな素晴らしい教育理念があるとしても。 研ぎ澄まされた感受性を持ち現場ファーストであれば、そこに新しい指導が発生し 子どもがイキイキと目を輝かせれば 親たちも自然に学校を信頼し安心して家庭に職場に邁進する事ができるのでしょう。
現場とは、教室で有り家庭ですよね。 毎日の生活の中にこそ生きる知恵があります。自然の法則に従って動いて居ます。
お味噌汁の味は濃かったか、薄かったかでも濃度と言う計算が発生します。 こどもの日には柱に身長を測ると言う長さがあり。
大きくなったと言う喜びがあります。言葉や計ること(度、量、率など) が身に付いて、教室で計算の仕組みや言葉の意味を知ります。
ここから知ることの喜びを得るのではないでしょうか。 知ることで世界が広がりますね。
指導要領や国の政策は、時の政権で決まります。利害や一部の理念なき権力者で決まる現状には、大切な子どもの発達を保証できるものなのでしょうか。 目先の制度より現場の充実に目を置きたいものですね。
口幅ったいことを書きました。 既にご承知の上での提言だったと思います。失礼をお許しください。
いやいや、私は今現場のことを知ることから遠ざかっていますから不満云々ではないのです。
自分が子どもの頃からずっと感じながらきた教育について、結局は誰でも試行錯誤しながら子育てをして
問題にぶつかればしっかり悩んで乗り越えていく術を身に着けていくしかないのだと思っています。
だからこの宝槻氏を知った時、新鮮な気持ちで紹介したくなったということです。
我が子が学校制度の中からはみ出していくようなときに、親は何を感じどのように向き合っていくのかです。
それこそが学びの基本だということを子どもから教えられることだと思います。