長女の夏休みの宿題の○付け。
文章読み取りが苦手だったみたいだけど、今回ドリルをチェックしてたら、だいぶ理解できるようになってる。
この頁、見たら長女がかわいい~と愛おしくなっちゃった。
①で北田さんは、いつどこに行ったかという質問で、「おばあちゃんの家に遊びに」まで書いてて、どこだから「おばあちゃんの家」まででいいんだけど、ちゃんと文章がつながってるのがいい。
意味は理解してる。
②で、発表で分からない事もちゃんと理解している。
③、北田さんがおばあちゃんの家から帰った日を勘違いしてるけど、④でなぜか明らかになる。
④、この発表を聞いてあなたなら何て質問するか?に「2日後は5日のことですか。」と聞く。
こういう時、何て質問するかって言ったら、②で誰と一緒に行ったか分からないという事が分かってるから、「誰と一緒に行ったんですか?」というのを聞くのだという意図を私なら感じる。
何日に帰って来たかは、ちゃんと聞いてたら(読んでたら)分かる事でしょうと言われかねないので、分かってなくても聞きにくい、そういう空気を私なら感じる。
でも、そんな空気を感じず、「2日後は5日のことですか」と聞いた長女。
模範解答では正解にならないんだろうけど、それを聞くのがすごいなーと思ったのでした。
お母さんとしては、○やな。
でも、「13日の2日後やったら15日やのに、5日やったら日にち戻ってるやん?」と言うと、
長女によると、最初の時点で、「13日に行った」というのが「3日に行った」と勘違いしてたそう。
なるほどな。
私は小学生の時、こういう場合、こう聞いてほしいんだろうな、こういう方向に誘導してるな、こう思ったって言ってほしいんだろうな、っていう空気を感じてそれを感じると嫌になっていた。
どう感じるなんて自由だろうと。
と思いつつ、それをすごく気にしてたのだと思う。
それを、そういう空気を全く感じず、「2日後は5日のことですか」。
最高やな。
後から考えると、なぜこれが素晴らしいのか、よく分かって来た。
私は海外との貿易の仕事をしていた。
こちらは得意先からの仕様書をきちんと英訳したつもりでも、質問の電話があったりして、相手の話を聞いてると、そういう風にも取れるなという場合があったり、勘違いさせてしまう要素があったりしたものだった。
で、話してるうちに、こう書いた方が誤解が生じにくいな、こう書いたら一発で理解してもらえるなというのが分かって来るのです。
例えば上記の問題の場合、「2日後は5日のことですか」という質問があったら、「あ、2日後と書いたらそもそも最初の部分で聴き取れなかったら、2日後がいつか分からなくなるのだな」と話し手が感じ、「2日後の15日に帰って来ました」の方が分かりやすいかもしれない、と考えられるかもしれない。
国際的なビジネスの上では、「こんな事聞いたらバカかと思われるかな」とかいう遠慮や躊躇は無用なのだ。
ちょっとした誤解をしてた事が後々大きな事に響いたりするから、疑問点はクリアにしておいた方がいい。
だから、空気を読まず質問できるという事は重要なのだ!
模範解答を見たら、「誰と一緒に行ったんですか?」の他に、「何が一番楽しかったですか?」というのもある。
話を発展させる事も大事だけど、少しずつ誤解をなくしてすっきりさせる大事さも私はあると思う。
女性が社会進出して身につけられた仕事観の一端を感じさせてもらいました。
会議の在り方などにおいても海外と日本の違いは多々あると推測しています。
パソコン、スマホ時代における道具の使い方を含め、これからの世代は失敗を気にせず質問することの
大切さを実感するこの頃です。
親世代がまず失敗を恐れないことが必要ですね。
長女、小学校入ってからの勉強は同じ所で何回も間違ったり(「お」と「を」、「は」と「わ」とか)、こちらもイライラしてたのですが、落ち着いて向き合うと、子どもの考えがよく分かるのです。
この問題も一般的には不正解と切り捨てられそうな解答ですが、こう考えたのがいじらしくて、そして今までの自分の仕事を振り返るとこれは決して×ではないなと思ったのです。
問題を出す方(北田さんの作文)も抜けてる所はあるのだもの、解答者も全て読み取れてるとは限らないから、その質問をするのも有りだなーと思ったのです。
失敗を恐れず質問、親も子も必要ですね。