9月3日、親戚が余命1ヶ月の宣告をされた。気遣いがあって、優しいお姉ちゃん。彼女はまだ40歳で、今年小学校に入学したばかりの娘さんもいる。
9月下旬に会いに行ったが、何を話したらいいのか分からず、大した話は何もできなかった。帰り際「気分転換に読んでみて」と、お母さん業界新聞を渡した。気分転換になっただろうか、いや、もしかしたら辛い思いをさせてしまったかもしれない。
私が会いに行った翌日、娘さんの運動会が開かれた。彼女もほんの少しだけ見に行けたようで、その間ずっと笑顔で手を振っていたそうだ。側ではそれを見た彼女の母と義理母がずっと泣いていたそうだ。
考えてみた、もし自分の余命があと少しだと宣告されたら。やはり一番最初に思うのは子どもたちのこと。私がいなくなったら毎日私を探して、でも見つからなくて泣くんじゃないだろうか。小学校の参観日に母がいないことを寂しがるんじゃないだろうか。思春期には母親に相談したいことが沢山出てくるんじゃないだろうか。
そして、やっぱり自分が寂しい、悔しい。子どもたちとずっと一緒にいたい。側で成長を見守りたい。
最後に、お姉ちゃんは今も精一杯生きている。できることなら、今日も明日も明後日も、もっともっと生きていてほしい。
私も精一杯生きる。
辛いですね。
言葉がありません。
娘さんの運動会、見ることができて良かったですね。
人間はだれしも、いつかは命が消える。
でも、早すぎますね。
祈ることはできます。
そして、家族を、みんなで支えることも。
藤本さん、ありがとうございます。そうですね、祈ることはできますね。私なりに支えられることも考えてみます。
辛いですね。旨が痛いです。
少しでも少しでも娘さんとの思い出ができますように。。
私自身が、現実を受け止めきれてない、信じられていないのですが。。娘さんにもお母さんとの思い出を少しでも増やしてほしい、脇門さんのコメントを見てそう思いました。