というより、始めてもらいました。
すぐに結果が出る今の社会。
感動や感激を、すぐに誰かと共有できるのは
孤独を感じなくて良いですね。
ただ、イイねもfollowも、気持ちがあるかないかで
友達としての重きが違う気がします。
むか~~しの歌に
「逢えない時間が 愛そだてるのさ」って歌詞があったけど
時間は人を豊かにするんじゃないかな。
子育ても、まさにそれ。
今の社会と逆行しているかのように
結果なんかすぐに出ない。
「うちの子たち、そういう時間に対応できるのかなぁ」
って心配になります。
子育ての結果は、親が旅立つときにわかる・・・
かもしれない 程度だものねぇ。
なんて、大きくなっている子どもたちを見て
そんなことを思っています。
で、何を始めたかって言うと
否
始めてもらったかって言うと
文通。
忙しく過ごした夏が終わったので
お返事書きました。
遅くなってごめんなさい。
いまからポストに投函してきます。
この頃は人間の劣化という言葉を耳にするようになりました。
うなずきながらも、何をもって劣化とみなされるのか?という疑問も持つんですけどね。
私の子育て中に盛んに聞かされた言葉は、地域の崩壊が家族の崩壊に・・・それが子どもに影響・・・
叫ぶのは専門家を中心にした人たちからでしたが、それが国の政策からもたらされたものであり
教育の崩壊まで及んでいたことを指摘する専門家は日陰の存在となったはずです。
今、30年前に書かれた「学校に背を向ける子ども」を読んでいますが、まさに我が子達の心象風景を思い出し
今はまさに親になっている子育て世代なのですから、学校社会をどのように感じているのかなと私はそちらを
関心をもってお母さん大学生たちの記事に注目するのです。
みっこさんのコメントは、まさに、今月のお母さん大学の課題とリンクしますね。
今、家庭教育支援法が検討されていますが
検討委員の中には「発達障害児は、親に起因する】と唱えた
某教授がいらっしゃるとか。
昔に戻ることが良いわけではないのに
法律で、昔の子育てを推奨するようになっては困りものです。
家庭教育を義務化して、親の負担が増えるように思いますし
いつの時代も、子どもの幸せを考えている親の方が
圧倒的に多いのに…。
余裕のある生活や教育は、感情のコントロールにも良い影響がありそうな気がするのですが
法律でとなると、どうなのでしょう。不安です・・・。
文科省の権力は文部省時代以上に強くなりましたね。
金をちらつかせながら教育を操る権力まで来てしまったようです。
教師を管理した後にきているのが、親の管理のように感じています。
私はそんな管理社会がとても嫌で、少子化社会は当然のことであると思ってしまいます。
躍起になって国が産めよと言い始めていることに、もう一度お母さんは注意が必要です。
子育ては自由な環境を認めず、窮屈な管理のもとに子どもをどんどん追いやっている気がしてなりません。
だから私はこのお母さん大学でお母さんたちが話す場を持ちながら、そのことに気づき一緒に声をあげていくことから
希望を見つけ出したいと思うこの頃です。
躍起になって国が埋めよと言い始めていることに、お母さんたちの注意が必要…
次のお母さんたちのことでしょうか?
私は、国の言い方が、次のお母さんたちを作らないようにしているようにさえ感じています。
みっこさんも地域版、つくる?
私が子育て中だったら、頑張ったかな…と思うことが多いですけど
今は自分の位置関係をもう一度探していくところからやり直しです。
子育て中とは、どういう意味でしょうね。
つみさんも一時、地域版を作っていらっしゃいましたし
みっこさんの地域版なら、ワタシも購入して読みたいと思います^^
私は子育て中に家族新聞を娘と作って、それを両親や親せきのおば達に郵送していました。
それが母や叔母たちから好評で、小学校の高学年になると帰省しなくなったのに
この新聞のおかげで、娘は印象深い存在として親せきからも可愛がられるのは続いています。
その経験をお母さん大学の地域版作りをしている人たちに少し重ねるのですが
エネルギーはそこには残っていないかな…という思いです。
藤本さんが孫育ての記事を書き始めていますが、私に孫がいたらそれこそまたエネルギーが
再び湧き上がってくるのでしょうか?