父の命日、雪雲の夕焼けを見ながら、夫と、縁側で夕食をとった。
自然と会話は、父の最期のこと。
自宅でみんなに見送られて旅だった父。
ドラマでよく見る一場面のように「ありがとう」と言って見送った私。
その後、何時間も泣き続け、具合が悪くなった娘。
少し落ち着いた娘から出てきた言葉は、
「なんで、ありがとうなの?じーちゃんは、もっと生きていたかっただけなのに」。
それは、私の心に突き刺さったままの事実。
繰り返し、思い出し、私自身が納得のいく答えの出ないままの一年だった。
その話を夫にした。
すると、しばらく経ってから、
『「頑張れっ」て、言いたかったのかもな』
と、夫が静かに言った。
あぁ。。。
そうかもしれない。。。。
「頑張れっ」て。。。。。
お父さんの命日の日に、
ご主人とふたりで、父を思うって、素敵だなと思いました。
ありがとう、頑張れ…
どんな言葉が、よかったか、わからないけど、
どんな言葉でも、お父さんには伝わっていると思います。
でも、娘さんのおかげで、
高木さんが、1年もお父さんを思えた。
それも、意味あることだと思います。
私も高木さん家の縁側で、お茶を飲ませてもらったので、
お二人と一緒に会話している気持ちになりました。
一年間父を思えたと思うと、なんだか、私が素敵に思えてきますね。
優しいコメントをありがとうございます。
意味のある一年間から、また、次の意味のある一年が始まってる気がしてきました。
きっと、お父さんの娘さんである高木さんと、
お孫さんである高木さんの娘さんとは、感じ方も伝えたいことも違うんじゃないのかなと思いました。
違っていいんじゃないかなと思いました。
ご主人とのやさしい会話。聞かせてくださってありがとうございます。
ほんとに、娘とは、いろんな感じ方が違ってて、そして、ストレートにその気持ちを投げてくるので、私は、受け止めきれず、怪我したり、転げたり、失神したりしてるような気がします。
言葉が突き刺さる感覚。
それだけ娘さんの想いが何か強いものがあったのでしょうね。
真相はいかに。
私は、父の最期の時、もうこれで、介護から解放されるという安堵感を感じてしまったのは確かです。それは、父に対して、後ろめたい感情として持ってしまってました。
あの時、そこを、娘は感じて、私を責めてるんじゃないかと思うところがあって、ずっと突き刺さってました。
でも、ただただ、頑張ってと言いたかっただけだったのかもと、主人の言葉を聞いて思えてきたことでした。
あの日以降、娘はそのことを私に喋らないし、私も娘とはそのことを話してないままです。
娘は娘なりに消化したのか、蓋をしたままなのか、真相は、謎のままです。