お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

父の命日〜なんで、ありがとうなの〜

父の命日、雪雲の夕焼けを見ながら、夫と、縁側で夕食をとった。

自然と会話は、父の最期のこと。

自宅でみんなに見送られて旅だった父。

ドラマでよく見る一場面のように「ありがとう」と言って見送った私。

その後、何時間も泣き続け、具合が悪くなった娘。

少し落ち着いた娘から出てきた言葉は、

「なんで、ありがとうなの?じーちゃんは、もっと生きていたかっただけなのに」。

それは、私の心に突き刺さったままの事実。

繰り返し、思い出し、私自身が納得のいく答えの出ないままの一年だった。

その話を夫にした。

すると、しばらく経ってから、

『「頑張れっ」て、言いたかったのかもな』

と、夫が静かに言った。

あぁ。。。

そうかもしれない。。。。

「頑張れっ」て。。。。。

 

 

 

 

6件のコメント

お父さんの命日の日に、
ご主人とふたりで、父を思うって、素敵だなと思いました。

ありがとう、頑張れ…
どんな言葉が、よかったか、わからないけど、
どんな言葉でも、お父さんには伝わっていると思います。

でも、娘さんのおかげで、
高木さんが、1年もお父さんを思えた。
それも、意味あることだと思います。

私も高木さん家の縁側で、お茶を飲ませてもらったので、
お二人と一緒に会話している気持ちになりました。

一年間父を思えたと思うと、なんだか、私が素敵に思えてきますね。

優しいコメントをありがとうございます。

意味のある一年間から、また、次の意味のある一年が始まってる気がしてきました。

きっと、お父さんの娘さんである高木さんと、
お孫さんである高木さんの娘さんとは、感じ方も伝えたいことも違うんじゃないのかなと思いました。
違っていいんじゃないかなと思いました。

ご主人とのやさしい会話。聞かせてくださってありがとうございます。

ほんとに、娘とは、いろんな感じ方が違ってて、そして、ストレートにその気持ちを投げてくるので、私は、受け止めきれず、怪我したり、転げたり、失神したりしてるような気がします。

私は、父の最期の時、もうこれで、介護から解放されるという安堵感を感じてしまったのは確かです。それは、父に対して、後ろめたい感情として持ってしまってました。
あの時、そこを、娘は感じて、私を責めてるんじゃないかと思うところがあって、ずっと突き刺さってました。

でも、ただただ、頑張ってと言いたかっただけだったのかもと、主人の言葉を聞いて思えてきたことでした。

あの日以降、娘はそのことを私に喋らないし、私も娘とはそのことを話してないままです。

娘は娘なりに消化したのか、蓋をしたままなのか、真相は、謎のままです。

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高木真由美
社会人になった子どもが2人います。 そして、昨年、孫ができました。 高知県香美市のお山で主人と2人暮らし7年目進行中。 お母さん業界新聞全国版を毎月読んで、考えるきっかけを頂いています。 よろしくお願いいたします。