お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

牛乳屋を営んできた両親へ、42年間のありがとう。

私は牛乳屋の娘だ。

私が1才になる頃から、
牛乳の販売店を営んできた両親。

早朝2時か3時には起きて父は配達へ出かけ、
4時起きで、朝ご飯の支度をする母。

それが私たち家族の365日だった。

朝起きると、一日も欠かすことなく
食卓には、お味噌汁やおかずが準備されていた。

それが、どんなに大変なことなのか。
それが、どんなに尊いことなのか。

母になった今だからこそわかる。

自営だから、定年退職なんてない。
自分たちで決めた日がその日。

2020年3月31日。
両親は42年間続けてきた仕事を卒業した。

「続けてきたってスゴイね、辞めようって思ったことなかった?」と聞いてみた。
「子どもたちがいるからね。辞めようなんて思ったこと一回もない」と父。

「大変なこともあったよね」と私。
「犬にかまれたりね」と母。

私は今43才。
私の生きてきた道はもちろんのこと。

妹、弟、3人にとって、
両親の牛乳屋の営みは欠かせない。

「家に牛がおるっちゃろ、モーモーうるさい」って男子にからかわれたこともあったっけ。

自転車で配達や集金のお手伝いをしたこともあったなぁ
小型トラックに乗るのが恥ずかしい時もあった。

感謝してもしきれない
記憶の数々。

42年間、本当にありがとうございました。
お父さん、お母さん、おつかれさまでした!!

追記
トップの画像はお世話になった大きな冷蔵庫の前で、両親のお仕事卒業記念に撮影したもの。
下の画像は31日のささやかなお疲れ様会の様子。

 

 

 

 

 

 

 

5件のコメント

素晴らしいご両親ですね。

本当に、365日、わが子を思ってくれる。

そのまんま、池田さんも365日、お母さんしている。

42年、簡単なことではないと覆います。

どれだけ、感謝しても足りないくらいですね。

その感謝のお返しは、池田さんが、最高のお母さんを楽しむことですね。

素敵なお父さん、お母さん、お会いしたくなりました。

藤本さん ありがとうございます。
仕事に子育てに大変な毎日だったと思います。
それでも今振り返ると、あの頃が一番楽しかったと言ってくれる父母に感謝です。

私が下宿することになったとき、
お世話になる下宿の方に、
深々と、これまでにないくらい頭を下げて
お世話になりますと話していた父の後姿が今でも忘れられません。

熊本にお越しになるときはぜひ。

池田さんのご両親、お疲れ様でした!
そしてその毎日の営みの続けることの難しさと高貴さ。
今の時期だからこそ本当に尊い!!

がんばろう!
そう思えますね。
ありがとうございました!

植地さん、ありがとうございます。
毎日やり続けるって本当に尊いことなんだなと今改めて思います。
父母に比べると、私がしていることなんて本当にまだまだ。
粘り強く、でも楽しみながらやっていきたいと思います(*^▽^*)

素晴らしいご両親ですね。

そして、お疲れ様会のあったかい雰囲気も伝わってきて、池田さんのご両親に対する感謝の気持ちもこちらまで伝わってきました。

あったかい記事をありがとうございます(^。^)

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ABOUT US
池田彩お母さん大学福岡支局長
お母さん大学福岡(ちっご)支局長/元お母さん業界新聞ちっご版編集長。長女が1歳の頃にお母さん大学に出会いマザージャーナリストに。ペンを持ったことで視点が変化し、「お母さんになれてよかった!」と心から感じる。久留米で活動をスタートして13年。現在は、久留米市合川町の「松葉荘」で居場所づくりをしながら、九州中のお母さんにお母さん業界新聞を届けようと奮闘中。3児(中3、小6、小2)の母/MJプロ/みそまるマスター/みそソムリエ