4月からの休校に続き、
5月半ば過ぎから6月はわたしと一緒に登校。6月末から実習が忙しくなり、おばあちゃんと登校。
7月末からはまたわたしが休校となり、
月水金は民生委員の近所の方から、
「孫含めて5人ぐらいぞろぞろ行くから、一緒に連れて行くわよ!大丈夫!」と声をかけていただき、甘えることに。
火曜日木曜日はわたしと一緒に。
元々、8月からは1人で登校がんばるって言ってくれていたが、なかなか難しそう。。。
あまり日にち考えずにいた矢先の今朝のお話。。。
「ママ、来なくてももう大丈夫よ。もうここまででいい。たぶん一年生歩きよらすと思うけん。」
ん?
そう?
拍子抜けしたわたし。。。
娘が振り返るのかなぁ?と大きくなってきたけどまだ小さい背中を見送っていると、
「あんどうみゆうちゃんのお母さんやろー!」と、みゆうちゃんの同級生男子からの野次が(笑)恥ずかしくなり、背中を向ける。
そんな野次にもびくともせずに堂々と歩く後ろ姿。
もちろんわたしを振り返ることもない。
子どもたちの登校する姿には、
性格やら特徴やら顕著に現れる。
ジグザグ歩きをする子ども。
真っ直ぐ歩く子ども。
友だちとおしゃべりが止まらない子ども。
娘は今日は集中して歩けていたなー。緊張もあるかな?
看護学校がコロナ感染拡大により休校となり、
もう少し娘と朝の時間を楽しめるだろうか?と考えていた矢先の出来事だった。
「ママは勉強があるんでしょ?オンライン授業とか。」
必死に課題をこなす母を横目で見ながら、一生懸命応援してくれている様子。
子どもの成長はあっという間だ。
あんなに、「いつになったらみんなのように1人で登校してくれるんだろう?」と悩んでいた日がおかしくって、またその時間に戻りたいなんて考えてしまう自分もいて、笑える。
わたしがそばにいないっていうことは、
娘はおばあちゃんに、学校の先生や学童の先生方に、地域の見守りの方に、民生委員の方に、大好きな友人たちに助けてもらいながら生きている、ということだ。
わたしが娘と繋いでいた自らの手を離すだけで、
地域はこんなにあたたかい目がいっぱいだということを知る。
そう。ギューっと繋いでいたのは、わたしの方だったんやな。
みゆうちゃんが教えてくれた、突然やってきた今日は、わたしにとって、優しく切ない記念日となる。
安藤さんの記事を読んでいて、私も子ども達との優しく切ない記念日が、よみがえってきました。
それは、切ないけど、なんだか幸せな感覚もあって。
優しく切ない素敵な記事をありがとうございます。
高木さん⭐️
ありがとうございます!
優しさ、切なさ、思い出してくださり、嬉しいです‼️
サイトがあるから記録に残すことができ、本当ありがたいなぁと思います❣️
すっごくすっごく胸に染み入りました。
そして、ひとりっ子母さん同士、私もきっとギュッと娘の手を握っています。
幼稚園バスに乗せて、そう思いました。
でもきっと、そうしてみゆうちゃんの手を大切に大切に握っている裕子さんを見て
周りの方々もみゆうちゃんを大切にしてくださる輪になっているんですね(^-^)
優ちゃん⭐️
優ちゃんなら絶対わかってくれると思ってたよー!コメントありがとうーー!
繋いだ手の温もり、ママがしっかりと守ってくれていたという証でもある。その温もりをみゆうちゃんも、優ちゃんの娘ちゃんも、また次の世代へと引き継いでくれたらこんな嬉しいことはないね。
見守るタイミング、手を離すタイミング、きっと娘たちが教えてくれるから、それまでは柔らかく手を繋いどこ(笑)
優しく切ない記念日、おめでとうございます。
おめでとうなのかわからないけれど、きっとおめでとうであっているかなと。
みゆうちゃんはママの背中を見て育っているからね。
みゆちゃんに限らず、
お母さん大学の子どもたちは自立が早いんじゃないかなと勝手に思っています。
だからこそ、今を大事にしていきたいね。
こんなお母さんの心も子どもたちの成長も。
あやちゃん。
もちろんおめでとうで合ってるよ。
嬉しくて、でもやはりどこか胸の奥が切ない。
そんな気持ち。
コロナ禍の日々だからこそ、
娘の細かな気持ちの変化に気付き、
自分自身の気持ちをゆっくりと伝えることが出来たのかもしれないね。
成長は早くても遅くてもいい。
結局自分らしい速度で成長していくんだろうな。
うん。ひとつひとつの想い、その想いに基づいた行動を。これから先も丁寧に、大切にしていきたいね。