第二次大戦中、海軍にいた大叔父に
「戦争の話?
今すると、今度また来てくれないだろう?また来た時に取っておこう。」
そう言われて話せぬまま、大叔父は空へ還ってしまった。
私の周りには、戦争を知る人がいない。
だが、私の祖父の寝床には当時の旭日旗が置いてあったと聞いたことがある。
そう、あの日の大戦は、脈々と私の遺伝子に組み込まれている。
横須賀は軍港の街。
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戦争遺跡も多く残る。
今でこそ、軍艦をカメラに収めようと人が訪れることが嬉しくもあるが、
子どもの頃は、この空にも爆弾が降ったのかもしれないと怖かったのを思い出す。
当時の首相が、一言「戦争」と発言しただけで母に泣きついたこともある。
横須賀の青い海に向かっていると、
若き命の叫びが聞こえるような気がする。
その若き命を思う母心に触れると
胸を締め付けられるようになった自分が、
いよいよこの事を伝えていく番になってきたのだと思わされる。
誰にとっても、あまりに酷い歴史。
特に子どもにとっては、世界が勝手に始めた戦い。
大人しか、それを止めることはできなかった。
だからこそ。
戦いの歴史を半ば自分に叩き込み、
なぜ繰り返してはいけないかを、その遺伝子に重ねていくのかもしれない。
人と人は、互いに違うこと。
その違いが、豊かな世界を作ること。
それを我が子が分かるように話していきたい。
共に生きる世界を、子どもに伝えよう。
あの日の母たちが、
未来の私たちへ託した思いを感じて。
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