DNA=遺伝情報。
当たり前かもしれないが、
娘の顔、体、性格、学習のこと、コミュニケーションなど対人的なこと。
すべて、何かしらどこかが誰かに似ている。
東京にいる元夫の実家は久留米にある。
「夏休み中に孫の顔を見せに行ってもらえないだろうか?」
そんなパパからのオーダーがあり、わたしもその間に勉強させてもらえたら、と。
甘えることにした。
今年度のわたしのモットーはとにかく、
「誰かに頼る」
そう決めたから。
久留米に向かう道中の話題は、
「みゆうちゃんのお顔のどこが誰に似てるか?」ゲーム!
「目はー?」
「ママでしょ。」
「いやー、一重になっとるし、パパ。」
「じゃ、眉毛は?」
「おじいちゃんと思うんよね、ママは。」
「口は?」
「ママかなぁ。。」
「鼻は?」
「このダンゴっ鼻はママ。。。」
「ほっぺたは?」
「ママ。」
「頭は?」
「みゆうちゃん頭いいし、パパじゃないと?」
ふふっと笑う。
ここは、大牟田のおじいちゃん。
ここは、大牟田のおばあちゃん。
みーんなからいろいろな部分をもらい、
娘はいま生きている。
大好きな人の大好きなパーツばかりで、
すごく幸せそう!
「今日はおじいちゃんとどこが似ているか、よく見ておいで!」→わたしからの5時間後までのミッション。
目を輝かせ、「うん!!」と頷く。
お迎えに行くと、
「耳やったよ!(笑)あとね。髪!」と、
嬉しそうに報告してくれた。
「あとね、照子ばあちゃんはほっぺたかなぁ。。」
冒頭でDNAと書いてみたものの、、照子ばあちゃんとは血の繋がりがない。
だけどそんなの、、、実は関係ない。
だって、照子ばあちゃんが娘を孫のように、生まれてすぐ、いや生まれる前から見守ってくれて、いまも娘が大好きな料理を作ってくれている。それだけが娘にとっては愛おしい現実だからだ。
生まれた瞬間は、
パパの生き写しかのようで、
ただひたすら驚いたが(笑)
娘の顔、娘の体、娘の心は、
娘を見守ってくれている、あたたかい目をした誰かの何かと実はよく似ている。
そしてその事実は、
娘が自分自身を大好きになる理由に繋がっていくのかもしれない。
心はママに似てくるかもしれないんだから、
わたしは言葉にもっと配慮しなくてはと(笑)
最近の娘のおませ具合を見ながら感じる日々をここに綴る。
みんなから、少しずつ命をもらって
みんなから、たくさんの愛をもらって
みゆうちゃんは、幸せいっぱいに育ちますね。
安藤ママは、本当に素晴らしいなと思いました。
天晴れな、子育てをしていると思いますよ。
藤本さん‼️
ありがとうございます
本当です。
みんなから命をもらって、
娘はこんな元気にたくましく育っております。
藤本さんも娘にたくさんたくさんの愛情を、
いつも本当にありがとうございます
裕子さん、朝から泣きそう。
ほんとそうだね、たくさんの命のつながりの中で、私たちも、わが子たちもここにいるんだよね。
大切なこと思い出させてくれてありがとう。
智子さん‼️
子どもたちだけでなく、わたしも、智子さんも。よね!本当に。
ついつい子ども優先になっちゃって、
モヤモヤすることや大変なことも山積みだけど、、
私たちママが私たちらしく、
元気に笑顔で、って願ってるのは、
紛れもなく私たちの子どもたち。
それを体現しながら、誰かに頼り、子どもたちを育ててもらいながら、お互いに健やかに成長していきたいねーー‼️