数日前、連日雷がゴロゴロ。
こわい、雷大キライと言う5才娘に
「大丈夫だよ」
と言いながら、子どもの頃を思い出した。
雷がこわくて、大キライだった私。
夏休みはいつも、仕立て職人の祖父がアイロンや仮縫いをする隣で宿題したり本を読んだり。
夕方よく雷が鳴り「雷大キライ!」と怒ったりこわがったりする私に「こわがったって雷の音は変わらないぞ!」と一喝。
そんなことを思い出したら、芋づる式にいろんな記憶がよみがえる。
お盆は部屋を片付け、専用のテーブルを出し、お供えをし提灯を出す。そしてみんなでお墓参り。
お墓参りの車中では必ずラジオで高校野球の中継を聴きながら。
祖父(母方)の建てたお墓に、私の父だけが眠る不思議なお墓。祖父が私がお参りできるよう本来京都のはずのお墓をこちらにしてくれたらしい。
祖母が亡くなり「男子、厨房に入らず」だった祖父が料理をするように。
日々テレビや新聞の料理欄で研究して母より美味しく作る。
根っからの職人気質。
高校時代部活ばかりやっていたら
「最近たるんでるんじゃないのか。」と。
勉強で怒られたのはこの一度だけだったな…。
生活態度はしょっちゅう注意される。
「お母さんだって大変なんだ、手伝いくらいしなさいよ」とここでも一喝。
「いづれじいちゃんは死ぬ。1人になるんだからしっかりしなさいよ。」は物心つく頃から度々言われてきた。
亡くなる年にも念押しで。
私なりに帰省はしょっちゅうしたが、当時大学生で死に目には会えず。
………
いろんなことを思い出しながら、息子と檻(ベビーサークル)で寝転がる夕方。
ふと
「ひ孫にはなんと言うかな?」
と妄想。
娘が生まれる10年前に亡くなったので、あり得ないけれど。
「かわいいな」とは絶対言わないだろうな。私もいとこたちも言われたことはない気がする。
小言は…うちの夫に遠慮して言わないかな。
「さちぃが母親なんておれも年取るわけだ」とニヤニヤはするかな。
顔はどうあれ、いつも先を見据えていてかっこいい祖父だった。
年に1、2度のお墓参りも今年は無理だろうと思う。
その代わりに思い出と妄想でお盆を終える。
幸恵さんのおじいちゃん、かっこいいなぁ。
片手に幸恵、カップの持ち方で分かる気がした。
宏美さん、ありがとう!!
当時はさほど気にしてなかったけど、今思うとカッコ良かったなと思う。
毎朝、コーヒー片手に新聞を1時間以上読み込んでたのもすごかったな~
私もおじいちゃん、おばあちゃん、なんていうかな…?と考えてみました。
ひ孫たち連れて行ったら、
おじいちゃん、さわがしい!って言ってるかもです。
え?なんて?って方言が聞き取れず聞き返す私におばあちゃんが、元気だよ!って言ってるよ。って通訳してるかな…笑
曽我さんの記事を読んでそんな想像ができました!
あの頃よりも年齢を重ねた今だから、話してみたいですよねぇ。
曽我さんの小さい頃のお写真、娘さん、息子さんそれぞれに似てるんですね♡
きっとおじいちゃん同じようにひ孫ちゃん抱っこしてマグカップ片手にしてるんじゃ…!!
おじいちゃんおばあちゃん妄想へようこそ~(笑)
そう、まさに今だからこそ話してみたい、聞いてみたいことがたくさん!
子どもの頃の写真はほんと、どちらも似てるところがあります♪
こわがったって雷の音は変わらないぞ!
お母さんだって大変なんだ、手伝いくらいしなさいよ
いづれじいちゃんは死ぬ。1人になるんだからしっかりしなさいよ
おじいちゃん語録ですね。
ひ孫見たら、かわいい、かわいい、かわいいとしか言わないと思います。
もう1つ。
1つ聞いて1つできる、じゃ進歩がねぇだろ。
1つ聞いて10できるようにならねぇと。
もっと頭使いなさいよ。
じゃねえと人間衰退するだけになる。
先輩の技を見て覚えてきた職人の祖父ならではの喝で、気を抜くと受け身になりがいなので度々思い出します。
祖母と祖父とでは、圧倒的に祖母とたくさん話してるのに、一言一言が祖父は重くて語録というか、脳内でたまに鳴り響いてます(じじこん?)。