お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

阪神大震災の話

去る1月16日のこと。
次女の学校のあのね帳で、初めておうちの人に聞いて話を書くという宿題が出る。

私がまだ家事も終えてないけど、ゆっくりしてた時、「お母さん、阪神淡路大震災の時の話、教えて」と言う。
私は、それじゃあ、洗濯物干して本格的に話さないとと思い、「待って。その話、長くなるから」と言い、家事を済ませに行く。

長女曰く、「お母さん、さらちゃんの時、13ページ分もしゃべったで」とのこと。
そんなしゃべったっけ?と思いつつ、こたつにゆっくり座ることに。
最初は、私が話したことを裏紙に書かせて、自分でまとめてもらうつもりだったけど、その事を言うと、小学1年生には難しそう。
もうお母さんがしゃべったそのままを書いてもらうことに。

何ページ話したことでしょう。
11時半くらいになるともう、「お腹すいたー」と次女。
これは終わらないわと、午後に延長戦をすることに。

お父さんが仕事でいないお休みでも、ゆっくり宿題ができる日もあっていいかな。
この日は、結局ばあばにも電話して、今は亡きひいばあ・ひいじいの当時の様子も聞いて、次女が書くこと、17ページ。

途中から、字が適当になりつつあったけど、よく書けました。
折しも、翌日の17日はひいばあの法事の日でもありました。
こうやって、災害のことを伝えられて、ひ孫に思いをはせてもらって、形はなくても、思いは子孫に残るんだな。

4件のコメント

戸崎さん、阪神淡路大震災を経験されていたのですね。
私もお話し、聞かせてもらいたいです。
こうやって語り継がれていくこと、こういうことを宿題にしてくれて、
ちゃんと時間をかけて親子で向き合い、書き留める子どもたちがすごいなと思います。

今、最後の語り部だと言われている戦争もこうやって語り継がれていくといいのかもしれません。

私は尼崎だったんで、被害はまだましでした。
両祖父母は、西宮だったので震源地に近く、避難所暮らしや親せきの家暮らしもしました。

戦争もだけど、だんだん経験してない人がいなくなっていくけど、時々折に触れて伝えて行く機会、大切ですね。

そうなんです、これでしんどくなって、おざなりになったら意味がないと思いましたが、最後まで聞いて書いてました。
お腹が空いたらそっち優先ですが、そこはちゃんとしたいみたいです。
いつか、お会いできる機会があればいいですね。

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ABOUT US
戸﨑朋子
MJプロ。 12歳(小6)と8歳(小3)の女の子がいます。 子どもが生まれて、今までに感じた事のない気持ちやを感じて幸せだったり、ダメな自分を突き付けられる思いがしたり。 何があろうと思うのは、子どもが生まれて良かった。 色んな思いを綴れたらと思っています。