昨日、公園で怒りながら桜の木を折ってる男の子がいた。
誰も近寄れなくて、みんな見て見ぬ振り。私も、早くどこかに行ってくれないかなぁと、願うばかりだった。
すると、
うちの甥っ子「桜の木がかわいそう!注意してこようか?」とのこと。
私「正直イヤだ。恐いし、注意したところで、やめないよ。多分。」
そして、長女「じゃあ、どうしたらいい?」
私「(えー、聞かれても困る〜と心の声)なんか、色々あるんだろうよ。。ほっとき」
二人は、のらりくらりの頼りない私をどう思っただろうか。それ以上何も言ってこない。。。。
しばらくして、二人は折られた桜の木を集めながら、その男の子の所へ。。。。
そして、、、、。
折られた桜の木を背丈の長い草で元の桜の木に、くくりつけ始めた。まるでお手当てをするかのように。
長女「草でくくりつけても元には戻らんよ」
甥っ子「うん。分かってる。でも。。。。かわいそうやん。はぁ〜誰が折ったんやろうね?」
長女「ほんと!!誰が折ったんだろう?」
そこへ、その男の子の祖母が駆け寄って来て、「折ったのはこの子だよ!」と乱暴に言いながら孫を引っ張っていった。
祖母よ。。。折りよったの見とったんかい!やめさせんかい!と思いつつ、、、このお祖母さんも、孫の取り扱いに日々手を焼いてるんかなぁ。。と同情してみたり。。。
タタタタ!
息を弾ませながら長女が戻って来た。
「ママーーー!!折るの止めさせられたよぉー!」と嬉しそう。
「良かった!」としか言えなかった私。
お手当てした桜を写真に撮ろうとしたけど、それも、できなかった私。
この状況、受け止めきらんけん。受け止めきらんものは、よう撮ることができん。
甥っ子と長女の「桜を助けたい。あれ以上折らせたくない」その真っすぐな気持ちが、私には沸かなかったのもショックだった。
その祖母が、他に言い方あるだろうに、「せっかく折ったんだから、桜、持って帰るよ」と男の子に言ったのも。。。せっかくで何だ?
でも、傍観者の私が一番卑怯なのか?
心が、ウヤーーーーーー!となる。
そして、その男の子は、始終つまらなそうで不貞腐れていたけど、一瞬、うちの犬を見に近寄って来たときがあったのを思い出した。あの時は少しだけ柔らかな表情だったのに、うわ!桜を折ってた子やん!と、私は逃げてしまったんよね。
桜を折るのを止めた後は、自分のお兄ちゃんに、大きな石を投げ付け出していた。そんな彼を見て、ちょっとだけでも、犬、触らせてあげれば、今日の日が少しは楽しい日になったかもなぁ。。
と、思ったり。。。
ああ、切ない。
私も同じことを考えると思います。先入観で、やさしくできないなぁ、枝を折っている子には。
いろいろな背景を想像しちゃうけど、その子は、誰かに無条件で抱っこしてもらえる時間があるのだろか。
無条件で抱っこかあ。。なさそうだったなぁ。祖母からはずーっと怒られてたし(それなのに、桜を折ったことは、“せっかく折ったんだから“って、なんかお手柄みたいに言うんだもん。変変変!)、そして、兄からはずーっと馬鹿にされてる感じだったからなぁ。
まぁ、でも、うちは、甥っ子と長女があの時はベストな考え方だったと思った。うちは、その男の子が恐かったし、取り巻く環境とかやたら気になったけど、「桜をあれ以上折らせない」その一点集中で、あの状況に大人として応じれば良かった。と思った。。。あの男の子が、どうであれ、桜が折られることとは、全く関係ないもんね。。。
〉受け止めきらんものは、よう撮ることができん
めっちゃわかる、この気持ち。
そして、この状況をこうして細かく正直に書き残せるレンさんが私は好きだなと思った。
ふうちゃんと甥っ子くん、そして桜を折った男の子から教えてもらった時間。
やっぱり子どもは先生だね。
私はどうしただろうなー・・・・・。
ありがとう。。
ねー、気付きたくないもの、見たくないものって、たまにあるよねー。。
子どもたち、行動に移せて凄いなぁと思いました。
この男の子の背景がわからないから、なんとも難しいと思いました。どう介入するのが良かったかも。レンさんと同じく、心が、ウヤーーーーーー!とこりゃなりますね。
あの時こうやっておけば良かったと、後で考え、ずっと尾を引くパターンかも。
でも、子どもたちは、子どもなりに行動し、解決した。そこに救われました。
その男の子は今後どうなっていくのだろう。なにかに救われることを祈ります。
本当ですね〜。。
ギスギスした心がまあるくなると良いです。