お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

忘れないために、できること

76年前の朝も、とてもよく晴れていた。

雲ひとつない快晴で、その日は空襲警報が解けた直後だった。

学校へ向かう子どもを送り出した後、

飛行機が一機、飛んでいるのが見えた。

「あれはなんじゃろうね?」と眺めていると

ピカッ!!!!!

とてつもない強い光が放たれ、その直後に

ドーーーーーン!!!!!

とてつもない衝撃が襲った。

屋根の瓦や窓ガラスが吹き飛び、壁は崩れ、

一瞬にして日常が、すべてのものが粉々になった。

そうして、76年の前の8月6日、

世界初の原子爆弾が広島の町に投下され、

二十万人近くが犠牲となった。

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昔、ニュージーランドを旅していて、さまざまな国の人と出会ったときのこと。

「どこからきたの?」

「広島だよ」

「広島か。とてもよく知っているよ。」

東京や大阪はよく知らなかったけど、HIROSHIMAはとてもよく知られていた。

それほどまでに、悲しい歴史で知られているHIROSHIMA。

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私は広島で生まれ育ったので、今日の日のことは染み付いている。

毎年8時15分には黙祷するし、できなかった時は罪悪感に駆られる。

人間は必ず忘れていく。

だから、この悲惨な歴史をきっと忘れて繰り返そうとするだろう。

だからこそ、広島に生まれ育った私は、このことを忘れず

語り継いでいかないといけない、と勝手に使命と思っている。

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今日は長男が部活に出かけていて、すでに家にはいなかったので

次男と二人で平和式典をテレビで見る。

「一番悲しいことは、忘れてしまうこと」

式典での小学生の宣言の中の言葉。

私たちは過去の過ちを決して忘れてはいけない。

そして、そういう世の中にしてしまった間違いを繰り返してはいけない。

戦争をしようとする、大人に育ててはいけない。

周りに流されてしまう人になる前に、親としてできることはなんだろう。

自ら考え、選び、進んでいくためには。

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「いろんな国に友達を作ればいいんよ。友達が住んでいる国を攻撃しようと思わんでしょ?」と私が言うと、「なるほど!確かに!」と次男。

誰とでもすぐに仲良くなれる次男なら、できそうな気がする。

まずは、わが子に平和を説く。

そこから繋がって、大きな大きな優しい輪っかになりますように。

(福岡市/MJプロ 智原美沙)

8件のコメント

できることから、身近なところからだね。
私もなぜか、高校を卒徴してから長崎に2年、広島に4年いたので、
長崎、広島のことをちゃんと伝えていかないとと思っています。
美沙さんの福岡市に登校日がないというのにビックリしたという話から、
地域でこんなに違いがあるんだということに気づくこともできました。
長女が昨日学校から帰宅して、語り部さんたちがいなくなってきたから私たちが伝えていかないとねと
サラリと言っていて、登校日の大切さを改めて感じたりもしたよ。
ホントに悲劇を繰り返さないように、今も実際は戦争が行われている地域もあるのも事実だから、
私たちお母さんも世界中に友達つくって優しい輪をつくろう♪

8月6日が登校日、の件、
昨日知ってびっくりした愛知県民でした。
昨日長男は全校出校日だったけど、
聞いたらやはり原爆や戦争の話は一切されなかったとのこと。
単なる「出校日」に過ぎなかったらしい。
私が子どもの頃も、8月6日は夏休みど真ん中だから出校日になることは少なかった気がする。
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今のこのコロナ禍 、戦争が始まっていくプロセスに喩える人もいる。
メディアや人の意見を鵜呑みにしない、さまざまな意見を見て聞いて、自分で考えることの大切さ。
社会の出来事を自分事として考えること。
子どもたちのために、まずは私たち大人がやっていかないと、とあらためて思いました。
戦争だって、何の選択権もない子どもたちが、大人の言いなりになるままに犠牲になっていったのだから。

まさに、今こそ自分で調べて考えて選択していく時代。
昔は情報を得ることが難しかったから、鵜呑みにするしかなかったかもしれないけど・・・
そうして少しずつ洗脳されて戦争に突入していった、と聞いたこともある。
だから誰もが戦争が間違っているなんて、思いもしなかったと。
いや、もしかしたら、おかしいと思っている人はいたかもしれないけど
声を上げられなかっただけ。それほどまでに正しいと教え込まれていたから。
だから、そんな過ちは全人類が繰り返してはいけない。
私は8月6日は日本中が登校日で平和学習をしていると思っていたから、
そうじゃないと知って本当に驚愕したよ。

はじめまして関西母力の鈴木です。
本当に、忘れてはいけない出来事ですね。
戦争もそうですが、人が憎み争い、対立する事がなくなればいいのに。と願います。
許すココロ。優しさもそうですが、人を許すココロを持てば争いは生まれないのになぁと思います♡

初めまして。コメントありがとうございます!
本当に、許す心一つだけで十分ですよね。
インドの教えのように
「人は誰しも迷惑をかけていく生き物だから
人から迷惑をかけられても許してあげよう」
そうやってお互い様で人を思いやることができれば
どんなに争いが減ることか。

私が小学生の頃は、この時期になると沢山のスライドを体育館で見て、戦争のこと沢山勉強しました。なので、夜に近くの自衛隊の飛行機が低空飛行している音にビビりまくって眠れなかったことを思い出しました。今は、平和な世の中ですが、その当時希望に満ち溢れた未来を思い描いていた青年たちが沢山を命を落としていった事実があり、その中にはたくさんのドラマがあって。今の時代何の不自由もない子ども達に、もしそんな現実が突き付けられたとしたらどうなるか考えてもらいたい課題です。語り継がれなくなった日本の過ちを学校では教えてくれなくなったのだったら、家庭で話していかなきゃいけませんね。

そういえば、学生の頃に相模原に住んでいたのですが、たまに戦闘機?の音がすると
本当に怖くて怖くてたまらなかったことを思い出しました。
米軍基地が近かったからでしょうか・・・時々聞こえたあの音は、
小さい頃から見てきた戦争の映像と重なり、恐怖でした。
私は家庭よりも学校で学ぶことが多かったのですが、今は私が家庭で教えていかないと、と思っています。
日本中のお母さんにしてほしいなぁ。

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ABOUT US
智原美沙
広島生まれ、広島育ち。思春期真っ只中の長男(17歳)と、1歳半から反抗期の次男(12歳)2人のお母さん。福岡市わたし版ひなたぼっこ版編集長。NPO法人Hand&Foot正会員。自分のこと、日々のこと、子どもたちのこと、左手全指欠損の次男のことなどを書いています。