お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

母であること・働くこと(2月号宿題II)

2月号の宿題を見た時、私は今働いてないし、私の書くところじゃないなと封印。
1月22日のパナソニックセンター大阪xお母さん大学 あるままOYAKOフェスの打合せをzoomでしていて、たまたま藤本さんに「書いてねー」と言われ、私が書いたらダークになりそうでと言ったけど、「本音がいいのよ」と言われ、書くことに。

とは言え、皆さんの書かれてるコメントを見てからと思うと、金曜は予定が一杯、さらに土日に初キャンプ。ということで、読もうとしても全然頭に入って来ず。で、今遅れながら宿題を提出しています。

私が仕事を辞めたのは、2015年。
次女が1歳半の時でした。
独身時代から勤めていた会社で、長女の産休育休に入る時で人生の約4分の1の8年(当時32歳)、退職する時で人生の約3分の1の13年3か月(当時37歳)だったので、辞める時は清水の舞台を飛び降りるような気持ちでした。

でも、それより何より子どもといたかった。
子どもはどんどん成長するのに、一緒にいようと決意するまでは道のりが遠くて、一緒にいれる時間がない、たいして何もしてあげられてないと焦りがあったような気がします。

ほぼ専業主婦だった母のもとで育ったので、世間でいう「育児がワンオペ」、「仕事を休むのは何故私(母)だけ?」という考えはなかったように思います。自分自身が、育児は母が中心になるもの、と思っていました。(こういう考えが良い悪いではなく、自分はそう思っていたということです。)赤ちゃんのころから、泣いたらおっぱいを飲ませるのはお母さんだし、小さい時の子どもを見て、お母さんといたら絶対の安心感があるんだな~っていうのが見て取れたからです。

仕事は繁忙期と閑散期の差も激しいけど、かなり忙しい会社で働いていました。
英語を生かしたくて、好きだった服に関わる仕事でと思い、貿易の会社で企画営業をしていました。

旦那さんは元々家庭的な人だったので、家事はよくするし、育児もよく手伝ってくれました。
と言っても、拘束時間が長いので、保育園の送り迎えは私がしていました。
世間でよく聞く「ワンオペ育児」。私の場合は、仕事がワンオペでした。
1人1人の営業が個人商店状態。自分の得意先のことは、1から10まで自分がするので、休んだら他の人に迷惑をかける以前に、他の人が分からない。自分のすることができてたら休めなくもないが、自分の仕事が溜まる。得意先に迷惑をかけたくないと思い、休みにくかったです。私って、責任を果たす為に家庭をないがしろにするタイプだなと思っていました。

会社は社長が前職の経験を生かして設立したベンチャー的な中小企業。私はその会社で初めての育休利用者でした。法定通り1年の育休を終えて復帰した時は、時短勤務で16時まで。そんなに早く帰っていいの?と思ってましたが、独身時代とは違いました。時短があると言っても、生きて行くだけで一杯一杯。インド相手の仕事だったので、トラブル発生も多い会社。お迎えに行ってる時に、仕入先のインド(時差3時間半)から携帯に電話があり、問題発生を告げれられることもあるし、退社前に委託倉庫(家とは反対方向に1時間半)から電話があり、大量にB品が出てるから見に来てほしいと電話があり、同時に保育園から子どもが熱が出ているということも。パニックになって、会社で「もぉぉぉぉぉーーーーーーーーー!!!!!」と叫びそうになったことも。
(ちなみにその時の習慣で、24時間つかまりたくないと、私はスマホに変えずガラケーで通しています。)

長女も次女も1年の育休があり、復帰前に保育園に入れました。
長女は預けたらずっと泣く、次女は長女の送り迎えで保育士には慣れてたのでにこにこしていましたが、入園してみると保育士の食事は受け付けない。長女はおっぱい好きで、次女は食事拒否で「これやったら預かれないわ」と言われることもありました。仕事と育児、保育園と育児、両方板挟みでした。

保育園に預けてすぐ熱が出たと電話があった時は迎えに行きましたが、そんな時はお迎えに行くと元気。泣き過ぎて熱が上がったんじゃないかと思うことも。長女は特に熱が多く、入園した最初は3分の2くらい休んでて、行ってるのか休んでるのか、私も働いてるのか休んでるのか分からない状態でした。私はそうそう休めないので、熱が出てたら実家の母に電話。電車で20分くらいの距離なので、何かあればすぐ母に電話しました。熱が下がるまで母に泊まってもらうことが多く、子どもの割に長女はNHKの朝ドラ好きに。ばあばは朝は必ずNHKの朝ドラを見ていたからです。
病児保育は手続きがややこしいし、遠いので預けたことはありません。実家の母に頼れたのは、まだ安心感がありました。

仕事をしていてしんどかったのは、QOL(生活の質)が下がること。
朝ご飯の食器を流し台にそのまま行って、帰って来てからマイナスからのスタート。そんなのはまだいいけど、ちゃんとしてったつもりでも、帰って来たらおまるにおしっこやうんちがあるのを見たら、「今日1日そこにあったん?」とトーンダウンします。
あと洗濯物を干したのに、雨が吹き込んで来た時は、人生終わりくらいめちゃくちゃイヤになりました。
食事はちゃんとした物をと思い、1人目の時は寝かしつけの後に晩ご飯を作って、1人分ずつラップして帰ったらすぐ食べれるようにしていました。そうすると、「早く寝てくれー」という念の中、寝かしつけをするからなかなか寝ない。一緒に寝落ちして、夜中の1,2時から翌日の晩ご飯を作ることもありました。2人目の時はさすがにそこまでできず、朝に半調理済ませて、帰ってから残りをすることも。

ある時新聞記事で、「今の子育て世代(私の世代なので、今の40代くらい)は、専業主婦の母を見て育ったけど、今の社会は働くのが当たり前だから、家事もある程度できて、仕事もできないといけないと思うから辛い」というのを見ました。それには共感。そうか、このしんどさはそういうところから来てるのかと思った覚えがあります。

保育園で自分の子どもを見てると、よく泣いてるし、お迎えに行ったらすごくうれしそうだし、なんか自分の子どもだけかわいそうに見えました。他の親子は、仕事をすることでリフレッシュして、子どもを笑顔で迎えに来ているように見えました。自分の気持ちを子どもに投影していたのもあるだろうし、私の気持ちが子どもに伝染してるのもあったんだと思います。世間で言われてるような、仕事でリフレッシュしてるからこそ子どもに笑顔で向き合えるという感覚は私にはなかった。

専業主婦で「1人の時間がほしい」というのを聞くけど、それはなかったです。
お昼ご飯は基本お弁当(旦那さん作)を持って行ってたけど、ランチに行こうと思ったら昼休みだけどいつでも行けた。でも、そんなことより子どもといたいと思っていました。

とにかく、子どもといたい、家で育てたいという気持ちが強かった。
何かあったら、お金で解決(忙しいから土曜の昼ご飯は弁当か外食とか)するとか、生活リズムが崩れるのもどうだろうと思っていました。

実際には、長女が4年、次女が半年保育園に通った時期に、仕事を辞めました。
自分の仕事の有無で子どもを振り回すのも申し訳ないなと思いました。それもあり、なかなか辞められなかった。(今だったら、幼稚園と保育園のあいのこみたいに子ども園があり、母が仕事を辞めても同じ園にいれるシステムっていいなと思います。)

働いてたけど、こんな意見持ってたの、レア派?
仕事イヤだったら辞めたらいいんじゃない?と思われそうですが、家も収入合算で買ったしな、将来の学費を考えるとなかなか辞めれない、で来ていました。

次女が入った幼児生活団というところの関係で、全国友の会に所属していますが、友の会の方からは「仕事しなくても、家計簿をつけて工夫できない?」と言われます。世間では、仕事してる方が偉いというイメージがあるので、そういうことを言われるのも意外ですが、必要なお金を計算した上で、無理のない範囲で働くということをされている方もいて、家計簿も今までの自己流をやめ、予算のある家計簿にシフト中です。それでも、将来子どもにしたいことがあった時、選択肢が自由に選べることを考えると、働かなあかんな~と思ったりします。自分の中では、仕事=自己犠牲というイメージが強いので、「働きたい」という気持ちにはなかなかならなかったりします。

でも、仕事をしようかと周りの生き生きと働いてる人に仕事のイメージを聞いてみると、仕事=喜び、仕事=自分の成長だったり、ポジティブイメージ。私も仕事が好きだった時はあったんだけど。

あと最近のコロナ禍で、会社員でも在宅勤務をしている人を見ると、お昼でも旦那さんと近くにランチに行ったりしてて。バランスを取れてる人を見ると、いいな~、私もこんな働き方できたら続いたかもなと思います。

理想の働き方は、家と職場が近かったり、家でできたりして、子どもが家に帰って来たらいれるくらいの感じ。子どもの宿題とかは教えてあげて分かった時のうれしそうな顔がたまらないから、自分で教えてあげられる時期は教えてあげたいなと思います。

仕事が続かなかった理由を考えると、
・いい意味のあきらめ・割り切りができなかった。
(たまには買った惣菜でもいい、寝かしつけが多少遅くなってもいいなど)
・生活の工夫が分からなかった。(今回の宿題にある皆さんのコメントでの洗濯物の干し方など)
・イヤなことはイヤと言う、できないことはできないと言うことができなかった。
だと思います。それに気付くのにだいぶ時間がかかったけど。

逆に保育園に行って、全くメリットがなかったかというと、そうではない。
私自身、結構神経質なところがあるから、初めての子育ての時は、公園で砂や鳩のフンのついた滑り台を見るとウェットティッシュで拭いてから滑らせていた。家に帰ったら服を全身総取っ替えしたことも。めんどくさがりの割に完璧主義。それが保育園に入ったら、子どもの服を洗濯しようとしたらポケットからだーっと砂が出る。良い洗礼を受けたと思います。
オムツ外しも、自分だったら1歳から始めるとかできてなかったです。

2件のコメント

仕事のことはいつかまとめようと思ってたんですが、どう思われるかや、日々の忙しさで書けてませんでした。いい機会でした。

自分の気持ちの整理になるだけでなく、藤本さんが未来のためになる、もっと笑顔になれる働き方ができる社会にしたいと言ってくれて、その視点はなかったなーと思いました。どんなことでも、違和感を感じてそれを発信することで社会が少しずつ変わって来てるんですよね。

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戸﨑朋子
MJプロ。 12歳(小6)と8歳(小3)の女の子がいます。 子どもが生まれて、今までに感じた事のない気持ちやを感じて幸せだったり、ダメな自分を突き付けられる思いがしたり。 何があろうと思うのは、子どもが生まれて良かった。 色んな思いを綴れたらと思っています。