阪神百貨店梅田本店の名物、いか焼きを食べる。
いつ見てもお客さんが並んでいるし、
この店舗の前にはいつも並ぶためのロープ仕切りがしてある。
若いしゅっとしたお兄ちゃんたちが、効率よく焼いたり、包んだり、レジしたり。
待たせない工夫や気持ちいい接客も完璧。
出来たてが美味しい。
でも、なんだかもの足りない。
全然匂いや空気を感じないからかな。
6歳の頃、喘息気味だった。
お店を閉めたあと、私を車でお医者さんに連れていくのは父の役目だった。
母と兄を残して過ごす父との時間。
今もおぼろげに覚えているのは、
小さな医院で咳が楽になるように蒸気を喉にあててる場面と、
すぐ近くにあったお店でいか焼きを買って食べる場面。
路地裏のお店、おっちゃんだったかおばちゃんだったか覚えてない。
注文すると一枚ずつ目の前で焼いてくれた。
材料をざっと手でつかみ、勢いよく鉄板に落とす。
卵を割り入れるときにはゾクツとし、
黄身をコテの角でつぶすところにうっとりした。
粉といかと卵の焼ける匂いやジュ~ッという音に集中し、
無言でずっと見つめていた。
父は商売人のくせにいらんこと話さない職人気質。
お店の人としゃべるわけでもなく、私の後ろでじっと立っていた。
どんな顔してたんだろう。
ぼんやりとしているのが思い出だという証。
たしか、食べたのは私だけ。
父が食べなかったのは留守番している母と兄を気遣ってのことかもしれない。
証拠隠滅して私と父は何事もなかったように帰宅する。
父娘の楽しみを母と兄が知っていたかは知らない。
治療に行く私が不憫で見逃がしていたのだろうか。
私にとっては治療=いか焼きだったから、
もしかしたらニヤニヤして行ってたのかもしれない。
母時間、父時間、きょうだい時間を楽しめたら、
家族の時間がより深く好きになるんだろうな。
自分の子育てを反省しながら、
いや、もしかしたらわが家も楽しんできたかな?と勝手に納得している。
私が高校生の時、父が車で学校まで送ってくれていた時期がありました。
失業中だったのかなんなのか、なぜかお嬢様でもないのに送ってくれました。
一応思春期、父親が煩わしくほとんど会話もなかったのですが、
私が一度好きだというと、毎朝DAIDOの缶コーヒーを買ってくれました。
時にはお汁粉を。
そんなことを思い出しました。