知らないお母さん方、おられたら、ぜひぜひホント体験してほしい世界がありました!!
お子さんもぜひぜひ!!と本気で思いますので、レポを綴ります。
ダイアログ・イン・ザ・ダークの体験ー純度100%の暗闇で、恐怖が嬉しさに変わったとき
私は、5月23日東京・竹芝「対話の森」ミュージアムに私はいました。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)を体験するためです。DIDとは純度100%の暗闇をエンターテイメントとして体験する場です。ある人から「面白い」と聞いてDIDを知りました。
怖いよ、怖い
DIDは一日に数回開催されており、一回の定員は7名までとのこと。私はこの日、一番最後の回・18時15分開始の回のチケットを購入していました。ちなみに私が体験したのはベートーベンの歓喜をモチーフにしたバージョンでした。
前の回の参加者の人たちが笑顔で会場から出てきました。そこから数分。
あれ?私以外の参加者は…まさか、いない?
あ、いたいた!え?でも、スタッフさん?
アテンドしてくれる視覚障害のある男性が白杖を持って現れました。まずは自分の背丈に合う白杖を選ぶように促されます。この時私は、Sさんの目を真っすぐ見れなくて、視線をどこに持って行ったらいいか分かりませんでした。
これでいいかな…
「いってらっしゃーい!!」
暗闇空間へのドアが開かれ、足を進めます。まだ真っ暗闇ではなく薄暗い場。ここで、お互いを呼びあうニックネームを決めます。アテンドの男性はしゃしゅーさん、参加者のDIDスタッフの女性は“まりちゃん”。スタッフとはいえ、「歓喜」バージョンはまだ未体験だそう。私は“まっちゃん”。白杖の使い方も教わりました。
教わりはしたものの…私、不器用だしなぁ…大丈夫かな?
そして一切の光が感じられなくなりました。
あわわわ…。
まず、木があるようでした。足元は落ち葉?「私のそばには2本あるかな?」とまりちゃん。まりちゃんはほかにも木があるかないか探索しているようだけど私は動くのが怖くて、手を伸ばした先の一本の木から先に手を伸ばすことができません。
何か道具をとってくると言うしゃしゅー。私とまりちゃんはいったん落ち葉の上に座ります。座ることも怖い。白杖を横に置きますが、「杖がどっか行ってしまったらどうしよう~」と不安です。
遊ぶ
しゃしゅーが戻ってきました。ん?タンバリン?か何かを手に持っているようです。いったん立って移動です。三角形の位置になりましょうとしゃしゅー。「まっちゃんは今の位置より少し右へ…」。
しゃしゅーは私にとって「見えている人」。
ブラインドサッカーで使うボールのようでした。「遊びましょう!!」
キャッチボールをするようですが、ボール捕れるか~。あ~不安だよぉ。
「いきますよ~」
音が近づいてきました。
…!!!
キャッチできた♪めっちゃ嬉しい。
次は私が投げる番。まりちゃんが手をたたいて「ここ」を知らせてくれます。
手の音のする方へ。
まりちゃん、行きますよ~!!
あ、受け取ってもらえた♪
「もう一回やりましょう!」
「もう少し距離を置きませんか?」とまりちゃん。
まりちゃん、少し後ろへ下がります。
不安は消え去り、enjoy
………とここから先はネタバレになってしまうので、黙っておきますが、3人で電車ごっこをしたり、靴を脱いだり。そうそう、靴を脱いでもう一度履くとき「あ、私の靴、これだ!」。分かるんですよね。違う靴を履いたら、違和感を感じそう。きちんと自分の靴だと分かるんじゃないかな。
また、わらのとーってもいい匂いに癒されたり。あるいは手触りを楽しんだり…と、いつの間にか私の恐怖心は消え、暗闇を楽しんでいたのです。
だから、「では、戻りましょうか」とのしゃしゅーの声がかかり、明かりのある元の場所に戻ってきたときは“寂しかった”。
最後、私はまっすぐしゃしゅーの目を見つめて(目は合わないけども)お礼を言うことができました。
他の感覚が「ひらける」
視覚が使えないとなると、他の感覚―聴覚や触覚、嗅覚が鋭敏になります。視覚に頼らない感覚が本当に思いのほかに心地よくて。まりちゃんとの言葉の掛け合いも心地よかった。DIDで味わった心地よさは、冷えを知らない、静かな感動のさざ波。もうどうしようもないくらいに辛い気持ちになったら、絶望状態にあったなら、DIDの空間へ行ったらいい。そんな気持ちにさせてくれました。
DIDを体験すると、泣く人がいるというのもすっごく理解できます。
ぜひ。本当に、体験してみて欲しいです。
DIDの著書『みるということ』で、生物学者の福岡伸一さんが寄稿しています。そこには
暗闇で視線が失われることは、欠落ではなく、むしの脳の内部に新しい扉が開かれる契機だ、ということである。
暗闇は私たちに生命の柔軟さ、可変性を体感させる刺激になる。
とあります。また、脳科学者・茂木健一郎さんとDIDによる『まっくらな中での対話』(講談社文庫)に、茂木さんの言葉で
やはり本質というのは、その周りにくっついている邪魔になるものあちを取り除いていかなければ見えてこない、というのはあると思うんです。
僕たちはふだん目で見ることによって、さまざまなことを判断しているわけだけれども、ひょっとしたらその行為によって逆に隠されてしまっているものってたくさんあると思うんです。視覚という宇宙は本当に素晴らしいものだけれども、その覆いを取り払ったときに初めて見えてくる広大な世界というものもあって、僕たちはそれに気づかないで毎日を生きているのではないかと思うんです。
というものには、ハッとさせられます。「目が見えなくなったら絶望的だよな…」なんて今までは思っていましたが、DIDを体験してこの本を読んで、さらに伊藤亜紗さんによる『目の見せない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)を読むと、視覚に障害のある人の生きる世界の豊かさがうらやましく感じられるほど。
癒しというものについて茂木さん次のように語っています。
…でも脳科学の分野から見てみると、「癒し」とは「全体性を回復すること」なんですよ。
我々の脳は、ふだんあまりにも「見る」ということに使われすぎています。実に脳の三分の一が視覚領域ですから、自分が「見る」こと、「見たもの」を情報処理するときに、僕たちの脳は三分の一も費やされてしまっているんですよ。
だからこそ「見る」「見られる」ことから解き放たられることは、大いなる「癒し」になるんです。
全体性
確かに、私たちの現代生活は日々バランスを失って暮らしています。
明るいもの、はっきりしたもの、効率性、即効性、見やすさ、分かりやすさ…ものごと、ファースト。
何かを選択することは、何かを捨てている、失っている、欠いているということだから。
“全体”で生きるのは人間には無理だろうけど、“偏りすぎないように”することが必要なのだろうなと思います。この点、子どもは「偏りが少ない存在」なのかなとも感じますが。
体験して2週間が経過しましたが、今も静かな感動の波が続いているのです。
レポ!!ありがとうございます!!
奈保さんの描写がとても上手で、私も一緒に体感させてもらった感覚になりました。
実際は全然違うんでしょうけれど。
以前、佐賀に来ていたことがあっていきそびれてしまい今に至ります。
改めて、奈保さんのレポ読んで私も体験してみたいと切に思いました。
ありがとうございます!
彩さん コメントありがとうございます。
嬉しいです。
そうですかー!佐賀でもあったんですね。
私はホント、まったく知らずに来てしまいました。
ある意味、福祉業界に身を置いているのに…。
でも知れてよかった!!
ダイアログインサイレンスもあるようなので、ぜひまた体験したいと思います。
彩さんもぜひぜひ!!
こんにちは。
ダークの方を体験されたのですね。
自分が聞こえないので、ダークの世界に入ったらどうなるんだろう?と勇気が出ないのも原因ですが、
盲ろう通訳介助員のお勉強をしていたので、やっぱりダークの体感もしてみたいと思っていました。
白川さんの記事を読んでイメージができたので、良かったです。ありがとうございます。
ちなみにサイレンスの方は新宿に設置されていたときに長男(小4か5の頃)と一緒に体験しました!
コメントありがとうございます!
サイレンスがあったとは知りませんでした。調べたら…22年は12月に開催予定みたいなので、必ず体験したいです。
何かひとつ大きなものがひらけた感覚で、DIDを体験するとしないでは、本当に大きい。
障害は、ある一方から見たら障害だけど、別の方向から見たら、障害じゃない。
個性って言い方はあまりあてはまらないかもしれませんが、別の感覚が鋭くなる契機になって、別の世界を持っているということ。
もう少し娘が大きくなったらぜひ体験させようと思います。
真っ暗闇など、なんにも見えないところに行くとパニックを起こしてしまう(プラネタリウムの最初の暗転ですら怖い)私は、きっとこれは体験できない・・・
けど、そういう世界で生きている方たちがいる、と思うと、
パニック起こしてしまう自分がとても情けなく思えます・・・
だからこそ、白川さんのレポがとても勉強になりました。
ありがとうございます。
全く存在を知りませんでしたが、とっても興味をそそられるレポで一気に気になりだしてしまいました…笑
資格から解き放たれて他の感覚が鋭敏になる状態、ぜひ体感してみたい!
白川さんのレポが今後も楽しみですー!