近ごろ地球儀を回している娘、5歳。
きっかけは、最近届いたスリランカのお話の絵本。
どこにあるのか探し当てて、
「スリランカといえば、鉛筆のここが採れる所だよ。」
と、いつも使う鉛筆の芯を見せたりする。
「ここは?」と、他の国についても聞きたがる好奇心旺盛な5歳のために
また地球儀を回していると、
そこにミッドウェー諸島があった。
かつての激戦地は、あまりに遠かった。
マーシャル諸島にミンダナオ島、
どこも遠く離れた海の先。
かつての激戦地を地球儀に見つけながら、
日本から、この大海原へ漕ぎ出していった先人の胸中を思う。
今日は終戦から77年の日だ。
私が住む神奈川県には、護国神社がない。
建設途中に戦火で焼かれ、その後建てられないままだそうだ。
それでも近年、有志で作られたというお社が鎌倉市にあることを昨日知った。
「行こうかな、こんな暑い中だけどどうしよう。」と思っていると。
娘が「くっくん」と言って抱っこをせがむ。
これは抱っこをしてもらいたい時に鼻を鳴らす音。
そうして娘を抱っこをしていると、
先人の声が聞こえてきた気がした。
「子は宝だよ。」
平和な空の下、わが子をただ抱っこすることは、
あの時代のお母さんや、戦地に出向いたお父さんに羨まれることに違いない。
この平和な日を未来永劫つなぐには、
この平和な抱っこを噛みしめることが大切なのだよなと感じた。
子どもの手を引き、焦って出かける私を想像したら、それこそ望まれない姿のようにも思えて。
(そんな感じで、まったり過ごしてばかりの夏休み)
そう心に決めて、娘と洗濯物を干した。
夏の空が輝いていた。
この空を守ろうとしてくれた先人を思う。
この世界におけるちっぽけな存在の、普通のお母さんな私にできることは、
お母さんとして、未来の子どもたちを守ることなのだ。
改めて、それが先人に恥じない生き方と肚に落とし込めて。
>平和な空の下、わが子をただ抱っこすることは、
>あの時代のお母さんや、戦地に出向いたお父さんに羨まれることに違いない。
ただ抱っこする、それがどれだけ平和のおかげか感じさせてくれる、後半ポエムのような記事で響きます。
戸﨑さん、ありがとうございます(^^)
戦争孤児の方の証言を聞いていると、子どもにとって親が必要な時期に、毎日当たり前に過ごしていることの尊さも感じます。
終戦記念日に、私はもっぱら読んだり見たりで、自分のほうに視点が向かなかった…と反省。
今の日常を守りたいと思いました。
横須賀の海に浮かぶ戦艦は、おもてでは日本をも守っているアメリカの戦艦たちですが、その横で日本の戦艦も同じくして並ぶことに、戦いが終わった象徴も感じるし、世界では戦いが終わっていないことも痛感します。
私も、日常を守りたいと思います。