子育てをしているといろいろなことが起こるのですが、
そういえば口げんかをして「しね!」と言われたことがあったなぁと思い出しました。
兄弟げんかで言い合っているのを聞いたこともあります。
放たれた言葉たちは、その時は思わず出てしまった言葉なのでしょうけれども、
深く突き刺さることもあるし、しばらくしてから、ジワリと悪さをすることもあります。
私もまた、同じようなことを子どもたちに言ってしまったことや、
意地悪に、敢えて言わないことで、無言で言ってしまったことがあるなぁと思うのです。
私が死にたいと思ったことがないのは、それほど辛いことがなかったからではなく、
人は必ずいつか死ぬと、知っているから。
でも、わからない。子どもたちはそう思っていない気がしています。
もし、死にたいほど、消えてしまいたいほど辛いことがあるのだとしたら、私には何ができるのでしょうか。
お母さんは、「死」を生み出す人でもあるのだと、思いました。
生きることは必死です。全力で死ぬことが、生きること。
そう思うと、がんばってるね、すごいねって
抱きしめてあげたくなるけれど、もうそれができないのも事実です。
心をぎゅっとしてあげよ。
これが、「おやすみ、お母さん」を観て、私が感じたことです。
植地さん
私たちは死に向かって生きてます
だからこそ、明日はあるとおもわず
今を生きていきたいですね
母は死を生み出す
その言葉にずんと来ましたが
確かに生まれた者は死にます
正にそう だからこそ生きるのだ!
色々な人の感想を読むのは楽しいですね
植地さんの「敢えて言わないことで、無言で言ってしまったことがあるなぁ」に頷き
尾形さんの「色々な人の感想を読むのは楽しいですね」に共感しています。
感想を言い合えるのも楽しいひと時ですね。余韻を楽しんでいます。