2月ほ初めに1泊2日で京都へ行き
2日目に宇治平等院を訪ねた時のこと
太陽の光を浴びて
宇治平等院はますます
わたしたちを虜にする
ある男性が
日本の美しい場所は、
あそこも美しい
ここも美しいと
話すのを聞いてふと、思った
人は美しいものに強い憧れを抱く
キラキラした物もそうだ
日常にそうは見られないものだからこそ
余計に執着するのだろうか
毎日目の前に宇治平等院があったり
キラキラしたものばかりだと
気にはならないのだろうか?
平等院の前では、みな
写真を撮る 撮る 撮りまくる
私もそうだ。パシャパシャ撮っても
見ることなんて殆どないのに
作家 桐野夏生の「グロテスク」の一説に
文章は正確ではないが
美はどんな才能をも打ち負かす
ある凄い才能がある人がいて、
みなの注目の的となっていても、
そこに美しい人が現れると突然に
みな、その美人に注目すると
この宇治平等院もそのような才能が
なーんて
目の前の世界遺産に心奪われ
どーでもいいことを考えながら
のんびりとした時間が過ぎていく
※ 写真はみなさまお馴染み 宇治平等院
修学旅行の定番コースとあってか
学生の集団もいました
みな、その姿に感動し、うっとりしてました
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