養老孟司『子どもが心配 人として大事な三つの力』/PHP新書
子どもが心配。
何ともストレートなタイトルに、思わず手をとりました。
中身は養老さんと教育に関わる4人の先生の対談をまとめたもの。
子どもが心配というよりも、子どもを取り巻く環境が心配というような内容でした。
読み進めるうちにグサッときたのが「負け続ける育児」という言葉。
親がインターネットを過剰に利用することについて、
・自分が実践している育児と比べて、少しだけレベルの高い方法に「正しさ」を求めがち
・ネット検索が「正しい育児」という”鬼”をつかまえる”追いかけっこ”のようになる。これが「負ける育児」につながる
と書かれていました。なぜなら”親たちが自分の育児に自信をなくしているから”と。
この項目を読んだ時、「あー分かるなー」と思わず声が出ました。
ずーっと自分の中にあるモヤモヤの正体が、見えた気がしました。
私は一応ゆとり世代で、小学校では総合学習の時間も多かったと思います。
でも中学・高校と進むにつれて、評価のベースはやはり点数や勝ち負けになっていきました。
もちろん一番になれるわけがなく、どこかにずっと負け続ける自分がいました。
たとえクラスで一番になっても、学年で一番になっても、その先はどこまでも続きます。
それを向上心と捉えていたし、確かにそのおかげで得たものはあるけれど、
どこかでちょっとずつ自信をなくしていたのかもしれないです。
引用した文章の”少しだけレベルの高い方法に~”を読んだ時、まさしく!と文字通りひざを打ちました。インターネットは本当に便利で、誰でも発信できるし、誰でも少しキレイに見せることができます。簡単に少しだけレベルの高い方法に出会えてしまいます。
私がお母さんになったばかりの頃、友人・知人の様子を見て、その度に「いいな、私はできてないな…」と羨む自分が嫌になり、しばらくSNSを絶っていました。
その最中にお母さん大学に出会いました。
「負け続ける育児」というワードを見た時、あーなるほど、と思った一方で、
お母さん大学はそういう場所ではないなとも思いました。
この場所では誰も負けない。それがすごく心地いいんだと気付きました。
負け続けることはとてもしんどい。じわじわと蝕まれるような感じがします。
そこから抜け出せなかった時に孤育てにつながるのかな…。
わが家にもこの本あって、ちゃんと読んだと思うのですが。。。。
木綿さんの記事を読むまですっかり記憶が欠落していました(反省・・・)
養老さんのこの本は、うんうん頷きながら読んだのを覚えています。また引っ張り出して読もう。
「負け続ける育児」
納得。
みんな違ってみんないいと言いながら、
多様な社会が大事だと言いながら、
これでもかってマウント取られ続けている社会なんだなーと改めて。
気づかないうちにこういう罠にはまっていることをお母さんたちが賢くなって気づいた人が
伝えあっていけたらいいですね~。そうじゃない、お母さん大学っていう場所があるよーってww
彩さんも読んだんですね!気になるタイトルですよね(;・∀・)
確かに気付かずに罠にはまることってあるでしょうね…。
反対に、気付いてしまうと、そんなに気にならなくなるというか。
お母さん大学も特別な場所と思われることもあるので(入ってるというとすごーい!と言われたり)、
もっとフツーのお母さんに届けないとですね!
これは読んでみたい!
そして、木綿さんの言葉に共感。
さらに池田さんのコメントに共感。
何かと比べて常に「負ける」
そんなことを毎日続けていたら、そりゃ自己肯定感なんて落ちる一方だし、自信も無くすし、子育ても楽しくなくなるに決まってますよね。
けどそれが今のお母さんたちを取り巻く環境そのもの。
昔と比べて子育てしにくくなった、というのは、そういう意味なんですね、きっと。
この記事を公開したあとにチラっと緑のお方の顔が浮かびました…。
「負け続ける」と聞いたらどう思うんでしょうね。
常にまける、ちょっと負ける、気付かぬうちに…
この辺がネット社会というか現代社会の難しいところですね。
自分が被害者にも加害者にもならないように、うまく付き合いたいものです!