ー母親というものは
宿題、久しぶりに提出しよう。
そう思ったのは
3月~4月初めにかけて、動画編集2本、リーフレットデザイン2本、その他チラシやら原稿やら…
〆切が間近な仕事が重なりに重なって時間に追われすぎているのに、でもなんとかなりそうな余裕もあって
母になって日に日に心が強くなっていく自分を感じているから。
まさに今、「母親というものは」を実感している。
仕事のことが頭の大部分を占める中で
小学生の息子を学校に出し、目の前の娘の支度をして、一緒に仕事に出かける、習い事に行く、買い物に行って、ちょっとの空き時間にお友達にも会いに行く。
頭の大部分にある仕事は朝の3時半起きでさばく日々。
これも母になりどこに自分の時間を取ると効率よくてリフレッシュになるかを考えた結果たどり着いたところ。
仕事がリフレッシュにはならないが、イヤホンをつけて傍らのスマホでドラマを観ながら(正しくは観ていない、聞き流しているだけ。)
まだ誰もいないリビングでの数時間のひとり時間。
母にもひとりになる時間が必要だ。
そんな私の考える「母親というものは」
その心はまるで四季のよう。
春夏秋冬の季節が移り行くその時々のように
春のように穏やかで
夏のように暑苦しくて
秋のように寂しげで
冬のように冷ややかで
この四季が順番どおりではなくごちゃごちゃに、時には1日に何年も回ってくる。
そんな自分の心の動きを感じた時、私は母親だと思う。
自分ではない人の相手をしては思い通りにならず
幸せを願ってはこれでいいのかと答えのない問いに縛られて
それでも前を向いて歩いていく。止まらせてはくれない。だから進まなきゃって思える。
なんかカッコつけて言ってみたけど
1日中嵐のような大荒れ日々の時だってよくあって、結局それが「うちのお母さん」なんだって思っておいて!と子どもたちに頼んでおこう、と思う。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。