日もどっぷり暮れてしまったあの日。
保育園から一時帰宅。イヤイヤ期絶好調で、どこのだれよりも泣き声が大きかった娘。
階段の下まで連れて来たものの娘は上がって来てくれない。
当時宿舎2階に住んでいた。両手に抱え切れないほどの荷物。少しだけだからとそのまま置いていった。
慌てて玄関に向かったその時、チャイムが鳴った。
覗くと見知らぬおばさん。
ドアを開けた瞬間、飛び込んできた台詞に耳を疑った。
「いつもいつも子どもを大泣きさせて、虐待してるの知ってるんだから。警察に通報するからね」。
「虐待なんてしていません」。
その後のやり取りの記憶はない。
ただただ悔しくて。
「なんなん、なんなんよ。わたし一生懸命やりよるやん、なのになんでそんなこと言われないけんと?!」
大声は涙声に変わっていて、気付けば母親に電話を掛けていた。
感情が爆発した私に、母親は至って冷静にこう言った。
「都会は周りに無関心な人ばっかりやと思っとったけど、ちゃん見とる人がおってよかったやないね。そこは安心して子育て出来る環境やってことに気付けて良かったやないね」
あーそうか、そーゆーことなんだといい聞かせて、封印した。
一時警戒する日々は続いたが、何事もなく時は過ぎていった。
それでもふとしたときに思い出す。
あの時浴びせられた、どうしても許せない『虐待』という二言。
お母さん失格とレッテルを貼られたようで、他の誰にも言えなかった。
昨日、青柳さんが話してくれた。
『ネガティブなことも書く。自分を脱いでいく。』と。
あー、やっと解放された。
はじめまして。
青柳さんの言葉ですぐにこのように自分の気持ちを綴られたことは凄いことです。
核家族化の負の部分をようやく国が認識するようになり、手を付けたのが虐待報告義務でした。
如何せん国民の幸せが、便利で一億総中流になることだと錯覚を長いことしてきましたから、そのつけを払わされているということだと私は認識しています。
コロナ前にはできなかったネットでつながり学び会うことができるようになったことは、社会が変わるということですから、私はそこに期待をするこの頃です。
最後に、あなたのお母さんの言葉は凄かったです。
導きの言葉だから。
日本では長いこと少しの時間ならこどもを一人にさせても問題ないという認識でしたが、今の時代ではアメリカのように通告義務となったので、そこがまだモヤモヤするところですよね。わかります。
はじめまして☆
母の言葉です~っと心が落ち着きすぐに気持ちの転換ができたことを覚えています。
掛ける言葉ひとつで人の心を左右します。
コメントも同じだと思っています。
池田さんのコメント大変うれしく思いました。
田端さん、初めまして!
横須賀の岸です!
イヤイヤ期のどうにもこうにも困った感情がつい最近までの私だな、と思って泣けました。
近所の方の言葉が、さらに追い討ちをかけられるように感じるのですよね。
気持ちが分かるから、道行く親子が同じようになっているとお節介にも声をかけたくなります。
そうか、そうか〜イヤだったのかぁ〜!
娘さん、みてるよ〜荷物置いてきて!
あ、おうちの前まで一緒に行こうか?なんて!
頑張っていたあの時の田端さんに声かけたいです。
岸さん
はじめまして☆
優しい言葉にうるっとしました。ありがとうございます。
泣いている子をそっと抱きかかえることのできる世の中になるといいなぁと思います。