お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

新春企画 日本人として、次世代へつなぐ大切なこと 子育て×神社・お寺

お母さんたちに「初詣や七五三以外に神社やお寺を訪れることはありますか?」と尋ねた結果、母たちの日常と溢れる母ゴコロが見えてきた。神様や仏様の前で祈るのは、いつだって子どものこと。子どもの笑顔と幸せが1番。母とはそんな生き物だ。子育ては生命の営みであり、神や仏、神社やお寺とは切っても切れない関係だ。混沌とするこの時代に子育てをしている私たち。どんなときも、わが子の笑顔を守らなければならない。だからこそ、神様・仏様が見守ってくださることを意識する。それだけで、明日からの子育てに希望が持てるだろう。日本人として、母として、次世代へつなぐ大切なこと。一緒に考えてみませんか?

心が落ち着くところ
神社やお寺に行くのは、心を落ち着ける場所が欲しいから。風を受け、古くから在る木々や建物に触れていると、自分の人生がそれに比べていかに短いか、まだまだ続きがあるんだとわかります。深呼吸をし、ここに流れる空気を同じように吸った先人がどんな暮らしをしていたか考えるのも楽しい時間。今では傍らに娘がいます。見よう見まねで「なむなむ」をする娘の姿は美しい。「人が見通せるものは所詮目に見えるものだけ」。子育てや人生の成功を祈るより、目の前の子どもが手を合わせる姿を見ていたら、そこにこそ希望があります。神様を知らずして祈る姿が整う子どもの背中。そこにも神様が在るような気がします。春日神社(横須賀市)の狛犬さんがお気に入りな7歳の娘。顔を突き合わせ、テレパシーで交信しています。幼稚園時代、お迎えの日はここでお参りするのが決まりでした。  (吉村優)

子どもたちが生まれ育った場
子どもたちが生まれ育った場所が、夫が住職を務める貞昌寺(横須賀市)である。恵まれた環境の中で人々に支えられ、過ごしている。それが当たり前ではないこと、お釈迦様にいつも見守られ、何事も「おかげさま」なんだと伝えたい。節目となるお釈迦様の誕生日(花まつり)、お釈迦様が悟りをひらいた日(成道会)、お釈迦様がなくなった日(涅槃会)は一緒に参加し、伝えるようにしている。私も日々子どもたちと、お寺のおかげさまで学んでいる。そんな場所をよりたくさんの人に知ってもらい、訪れてもらいたいと願っている。 (竹林光未)

あぁ、行かなくては!
幼い頃から親や祖父母が神社やお寺、神棚や仏壇に手を合わせる姿、念仏を唱える姿を繰り返し目にしてきた。そうして、目に見えない大切な世界があること、ご先祖様がいたから今自分が生きているということ、死への漠然とした恐怖などを感じたことが、今の自分の神様や仏様に向き合う感覚の礎となっているように思える。だが今の私は、日常の忙しさにかまけて神社にもお寺にも足を運んでいない。もちろん家に神棚もなければ仏壇もなく、子どもたちにも合掌して祈る姿をほとんど見せていない。これはまずい。先祖代々受け継がれてきた日本人固有の精神性のバトン。目に見えないものだからこそ、行動を通して子どもに伝えていきたい。親と同じほどはできないけれど、せめてもっと神社・お寺に足を運ばなくては。ご先祖様や神様仏様の話を、子どもとたくさんしなくては!    (三谷マミ)

育休中の遊び場
育休中(2歳半まで)は子どもと近所の神社へよくお散歩に行っていました。小さくて無人の神社ですが、息子には面白いものがたくさんあって、砂利を並べたりポケットに入れたり、頭からかぶってみたり。公園とは違う植物を眺めたり、落ち葉や木の実で遊んだりするゆったりとした時間が好きでした。私も子どもの頃、神社で遊んでいた記憶があります。大牟田市にある熊野神社と三笠神社。並んでいるので、新年の三社参りでは、1度で2社行けるからと行ったもの。三社参りが九州あたりの風習というのも大人になって知りました。    (髙田沙織)

森や自然への感謝
子どもたちと近所の許麻神社(八尾市)によくお散歩に行きました。鯉にエサをあげたり石を拾ったり、遊具で遊んだり。こじんまりした神社ですが、桜に蝉に銀杏に梅と、子どもとのんびり過ごすには十分でした。でも特にお参りはしませんでした。もう一つは顕証寺(八尾市)です。
ご住職のお子さんと友だちで、閉門まで遊ばせていただいて。私の父も子どもの頃に遊んだお寺。今も放課後には小学生が集まっていて、50年以上も子どもたちのたまり場になっています。ここでも特にお参りはしませんでした。引っ越しをして、今は近くに神社やお寺がないので疎遠になっています。ただ幼稚園の近くの當麻山口神社(葛城市)には、学期始まりと終わりに「見守っていただきありがとうございます」と伝えに行きます。神社にというより、背後の森や自然に対して感謝の気持ちを伝えています。      (木綿萌)

ワクワクした七福神巡り
紫陽花と紅葉の時期になるとお寺散策をしたくなります。鎌倉の明月院や長谷寺へ、子どもを連れてのお散歩です。神社で手水やお賽銭をし、鈴を鳴らして参拝。子どもたち、それだけでも楽しそう。神社やお寺の歴史を大切にしたい。私は御朱印集めも好き。子どもの頃、父母と七福神を巡り、台紙に次々と押されていく七福神に感激したことを覚えています。(則武春香)

のんのんのお金
子どもが小さい頃、近所の神社によくお散歩で行きました。人が少なく、やんちゃな息子ものびのび遊べるので、随分お世話になりました。「のんのんだよ」と手を合わせ、名前を言って「いつもありがとうございます」と声に出してお参りした後は石を拾ったり、バーッと投げてみたり、三猿さんに「ごはんだよ」とお供えしてみたり。財布から一円玉を出してお賽銭箱に入れていたので、子どもたちは一円玉を「のんのんのお金」と言って貯金箱にあると見せてくれます。なんだか自分がちっさいなと感じる瞬間です。千円札以上のお賽銭をしたいくらいお世話になっていますけど。(山本有希)

祈ることはできる
母になって祈ることが増えた。この子たちが笑顔でいられますように。それは生まれてから今も全く変わらない。けれど高2、中2、小4と成長した子どもたち。抱っこすれば泣き止んでいたあの頃とは、祈る深さが違うなと最近思う。何かあったときに抱き寄せ、話を聞いて解決できるのは、小4の末っ子くらい。だから私が母としてできるのは「祈る」こと。子どもたちが笑顔で過ごせるように。今の悩みや課題がいつの日か価値に変わることを願って。ただただひたすら祈る。祈ることしかできないと寂しく思っていたけれど、祈ることはできるのだ。それでいいのだろう。おそらく私の母も、母のまた母もそうだったのだろう。そんな何十年何百年という母の祈りでこの世界はできているのかもしれないな。 (池田彩)

娘の興味
年少の娘が、くもんの『日本地図パズル』と『1日10分でちずをおぼえる絵本』にハマり、神社・寺院に興味を抱くようになりました。『神社のえほん』(あすなろ書房)も熟読し、書かれている神社の全体図やお祭りのことを何度も口にするので、神社や寺院めぐりをすることに。近くの神社から始め、電車で鎌倉へも。念願の善光寺(長野市)にも行ってきました。御朱印帳も買って、ますます熱が高まっています。年末には大祓をしに神社に行ってきます。(鳥越智子)

守ってくれる
家から徒歩2分のところにある神社、氏神様。お祭り、お宮参り、七五三、お正月、地域の資源物回収場所にもなっています。江戸時代から続く地域なので神社と住民の関わりも深く、町内会で神社の掃除もしています。それとは別にお地蔵さんが40体くらい集まっている所があり、そちらも住民でお世話をしています。その前が幼稚園バスの停留所で、次男はそこからバスに乗っています。「お地蔵さんたちがゆうくんを守ってくれてるんだよ」と話すと、その後「お地蔵さんがボクのこと、守ってくれてるんだよね」と時々言うようになりました。 (天野智子)

兄からのメッセージ
私が1歳の頃、3つ上の兄が水難事故でお星様になりました。実家は神道だったので節目ごとに神事があり、神社はとても身近なものでした。参拝の儀式は日頃の不安や恐怖を和らげてくれます。手を合わせ心を鎮めて深呼吸すると、神様になった兄から「大丈夫、きっと良い未来に向かっているよ」と言われている気がして、がんばろうと思えます。神社はその時々の自分の在り方、生き方を反省し、わが人生に幸せや喜びがあることの感謝を伝えることができる場所です。謙虚になり、奢らないようにと自制することができる場所でもあります。 (中村泰子)

懐かしいのの様との再会
仏教の幼稚園で育った私が、卒園記念にいただいた「のの様」。ありがとうの気持ちが大切と教わった。姉と私の2体。頭のぐるぐるが大好きでよくなでなでしていた。今もその感触を思い出す。懐かしくて母に連絡をしたら、写真が届いた。当時の記憶のままだった。大切にとっておいてくれてありがとう。
(田端真紀)

 

 

コメントを残す