お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

2024 MOTHER JOURNALIST YEAR MJサミット in 横浜みなとみらい〜孤育てをなくすために〜

お母さんがペンを持つと…
笑顔になる! 地域が元気になる! 孤育てがなくなる! どんな社会課題も解決する!

「子育てに夢を描こう」と、お母さん業界新聞社の代表・藤本裕子が小さな新聞をつくり始めて35年。新聞は時代と共に名前を変えながら少しずつ進化、いや、深化していった。が、変わらないのはお母さんの笑顔。この日の主題は「お母さんがペンを持つと、〇〇になる!」。実際にペンを持っているお母さんたちがどんな活動をしているのか、どう変わっていったのかなど事例を発表してくれた。

メインスピーカーを務めた福岡支局長の池田彩が「お母さん業界新聞」と出会ったのは15年前。当時は子育てでいっぱいいっぱいだった池田だが、ある時ふと開いた新聞に紹介されていた藤本裕子の記事と出会う。

目に飛び込んできたのは、「お母さんはスゴイ!」のタイトルだった。「世の中を変えるのは政治家や企業の社長ではなく、子どもを育てているお母さんたちだ」と書いてあり、その言葉に号泣したという。母親なんだから子どもを育てるのは当たり前。誰にも評価されない、認めてもらえない、このトンネルはいったいいつまで続くのか…。悶々とする日々を過ごしていた池田は、何かに突き動かされるように一本のメールを藤本に送った。池田にとっては大きな一歩だった。

お母さん大学でペンを持ち、母ゴコロを発信していく中で自分の中にある母力スイッチがONになっていった。そして、悩んでいるのは自分だけではないと、地域にお母さん業界新聞を配り始めた池田。新聞が孤立した子育てをなくし、地域をつなぐことを実感した。

2024年には「お母さん業界新聞ちっご版」(エリア版)を創刊し、1万部を久留米市を中心に近隣の町に配布。さらに行政や企業とも連携し、孤育てをなくすさまざまな活動を展開。今年は新聞活動をさらに飛躍させたいと、お母さん大学福岡を法人化することを発表した。

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そのほか今年アクションするプロジェクトとして、①MJの育成、②お母さん業界新聞メール版の拡充、③母ゴコロ本の電子出版、④折々おしゃべり会の実施、⑤わたし版キットづくりとわたし版講師養成講座の全国展開を宣言した。そしてもう一つ、これまでお母さん大学がやってきたことを集約させた企画として「ハハコモ」を盛り上げていくと発表した。

お母さん業界新聞わたし版

午後はお母さん大学生たちによるMJトーク&トーク。ペンを持って産後うつを克服した、誰も知り合いがいない町でもお母さん大学生がいてくれたから安心して子育てができたなど、それぞれのエピソードが披露された。

先の見えない少子化問題。子どもが生まれない社会に未来はあるのだろうか。さらに子育ては究極の人材育成事業。だとしたら目先の対処法ではダメで、根本を見直していくことが重要だ。子どもを育てているお母さんが笑顔にならなければ、どんな社会課題も解決するわけがない。

改めてお母さん業界新聞社では、マザージャーナリズムの視点を生かしたお母さん大学MJ構想を、新しい子育て支援事業モデルとして企業や自治体に提案していく。
(編集部)

 

お母さんがペンを持つとこうなる!~MJサミットに参加して

当たり前の毎日がペンを持つことで宝物になる!子どもたちの様子も私自身の思いも、年月が経ち読み返すことでまたさらに特別なものになる。

最近では小学生になった娘たちが、うれしそうに私が過去に書いてきた「わたし版」を読み返している。わたし版を見て、「ママ、すごいじゃん!」と笑顔で一言。

6年前、初めて参加したお母さん大学の講演会で、藤本さんに「お母さんはスゴイ!」と言ってもらい、ぼろぼろと涙した。その言葉を、わが子に言ってもらえる日がきたなんて…。

3人の子育てに疲れ切ってボロボロだった当時の私に、「ペンを持つことを決めたあなたはエライ!」と伝えたい。

ただ思いを吐き出すように書き続けてきた“母ゴコロ”が、本当にわが子へのラブレターになってきたと実感する。

今はまだ「これ書くの?」「また新聞に載る?」とうれしそうに確認してくる子どもたち。本紙に掲載されるとうれしそうに眺めたり…。

「また源(末息子)の話か~」と兄弟間の差にクレームが入ることも。どんどん成長する子どもたち。「ママ、これは書かないでよね!」と嫌がられるようになるのももうすぐか⁉ そんな何気ない日常を感じている自分を、これからも書き残していきたい。
(MJ記者/脇門比呂子)

 

お母さんの笑顔のために新聞をつくり続けて35年お母さん業界新聞社

 時代とともに新聞のコンセプトや名前は変わっていったが、ずっと変わらないのは、普通のお母さんが発信する新聞であるということ。母として未来に伝える使命があるということだ。

1989年 トランタン新聞
30代の一人のお母さんが、夢を描きたいと、ペンを持った。

1999年 お母さん業界新聞
お母さんを科学するマザーサイエンスマップを制作。お母さん業を世にアピールした。

  

2002年 LIVE LIFE
お母さんから人間へと、視点を広げた。

2014年 お母さん業界新聞エリア版
母力を上げた全国各地のお母さんが、エリア版を創刊した。

         

2021年 お母さん業界新聞英字版
地球を丸ごと汚染したコロナウイルスを、青いバラで包んだ。

2022年 お母さん業界新聞全国版
お母さん業界新聞を一つにし、母ゴコロを強化した。

 読売新聞(2月10日付)

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