お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

102歳で 美しく逝った母

昨年の暮れ、102歳で天国へ旅立った母。

19歳で漁師の家に嫁ぎ、波乱万丈の人生を送りました。でも朗かな人柄で誰からも好かれ、家では太陽のような存在でした。太陽の光が降り注ぐ明るい家庭で育ったおかげで私は、日本で唯一の深海魚専門漁師として、楽しく自由に生きてきました。

漁場の駿河湾は潮流が緩く、焼津港から15分も行けば水深500mに。1000mには1000種の魚が生息、サメだけでも60種もいます。

市場に卸すだけではなく、まちおこしにも使われている深海魚。その魅力からイベントや講演会、メディア出演の仕事も多くいただいています。

母だけでなく、昨年金婚式を迎えた妻も、しっかりと家庭を守り、母として一男一女を良く育ててくれました。妻がお嫁にきたことを、母は度々「掃き溜めに鶴が舞い降りた」と言っていました。嫁姑の喧嘩はただの一度もなく、2人仲良く過ごしてくれたことは、本当に幸せなことだと思います。

「私が亡くなったら皆に顔を見せないで。カボチャを急行列車にはりつけたような顔だから」生前母はそう話していましたが、とんでもなくきれいな顔で逝きました。私は得意になって大勢の方に見ていただきましたが、とても美しい旅立ちでした。

昨年567回目のテレビ出演はディスカバリーチャンネルで、ハリウッドスターと共演。

「もっと男振りの良い男に産んでおけばよかった」これもまた母の口癖でした。
亡くなってなお、母の台詞ばかり思い出すのは、男の性かもしれません。

焼津・長兼丸
深海漁師
長谷川久志

 

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