書類を探していたら、
西日本新聞の懐かしいコラムが出てきました。
久留米では2013年9月~2017年3月の3年半の間、
ママコラムとして久留米近郊に住むお母さん大学生(マザージャーナリスト)たちがお母さんを感じる記事を
西日本新聞筑後版で担当。
順番で書いていたので2ヶ月、3カ月おきに担当が回ってくるのですが、
毎週火曜日のこのコラム。
書くために、私だけではなく、みんな、日々、たくさんのアンテナをはり過ごしていたんじゃないかなと思います。
その証拠に、今、読み返しても、どれもこれも、本当に素敵なコラムばかりだから。
この機会に、せっかくだから一つずつ記事をアップしていこうかと思います。
まずは、いきなりですが「最終回」から。
私の思い、原点が詰まっているから。
おかげで、お母さんは最高です (2017年3月28日掲載)
「もう、こんな家、出ていく!」。
思春期にさしかかった小4の長女に言われ思いっきりへこんだ。泣いたり騒いだりイヤイヤ期まっさかりの次女(3)には毎日お手上げだ。
長女と長男(7)が大ゲンカ。そこに次女も参戦して大泣き。
「いいかげんにしなさい!」と声を張り上げるが、そもそもケンカの原因が何だったのかを忘れてしまう。
一日に何回も訪れるヤマ場に、心身ともにくたくた。
お母さんから逃げ出したくなる日もある。
逆もある。
「次もママのところに生まれてくるね」。突然、長女が話し掛けてきてびっくりした。
体調を崩した私に、次女が絵本を読んでくれたこともある。
「今日は楽しかった?」長男と毎晩、布団の中でおしゃべりをする。
子どもたちがくれる「贈り物」にほおずりしたくなる。
いろんなことがあるけれど、喜怒哀楽のジェットコースターに乗りながら、おかげさまで、お母さんを楽しませてもらっている。
10年前、お母さん1年生だった私に「子育ては未来を育む大事業」と教えてくれた人がいた。
月刊情報誌「お母さん業界新聞」を発行している「お母さん大学」の藤本裕子代表だ。
「お母さんであることを感じながら、ペンを持つと驚くほど自分が変わる。さらに、発信することで共感しあえる仲間と出会えるよ」と言われ、半信半疑でお母さん記者(マザージャーナリスト)になった。
泣いたこと、イライラしたこと、うれしかったこと、感じたままつづり、発信すると「私も同じだよ」「うちはこんな風にしているよ」と少しずつ仲間ができた。
そして3年半前、マザージャーナリストの皆さんでコラムを書いてみませんかと西日本新聞から声を掛けてもらい、ママコラムがスタートした。
コラムは、単に「お互いさま」の仲間を生み出すためだけのものではない。いろんなお母さんや子どもたちがいて、さまざまな子育てを知るきっかけになってほしいとの思いを込めた。
そして、皆がコラムを書きながら、日頃の小さなお母さん業の1コマ1コマが本当に宝物だと思えるようになった。
このママコラムを通して「お母さんの心」を感じ、少しでもあたたかな気持ちになってもらえたらうれしい。
私たちマザージャーナリストもコラムに寄せられた反応に励まされた。
これからは2015年に発行を始め、私が編集長を務める「お母さん業界新聞ちっご版」を通して思いを発信していきたい。
「お母さんは最高!」のメッセージを。
(マザージャーナリスト 池田彩)
新聞コラムを担当させてもらえることは本当に活動が光っていたからだと思います。
どこで誰が見ていて感じてくれて出会いがあるか・・・
未知数の世界のドキドキワクワクがこれからもありますように。