お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

編集長Interview「はじめての日」がつないでくれた、父(梶原しげる)と娘(梶原もも子)のラプソディ

本紙編集長藤本裕子がわが子育てを振り返り、自戒を込めて
「お母さんたちへ~はじめての日を忘れないで」とメッセージ。
作詞/藤本裕子、作曲/中村守孝、
歌/ダ・カーポでCD化した『はじめての日』。
ある日ネットで“お母さん”として情感たっぷりに
『はじめての日』を歌うMomo Kajiwaraさんを見て感動。
名アナウンサーである父、梶原しげるさんを交えての鼎談が実現した。
父と娘の関係、父から娘へ受け継がれたものとは…。

今になって気づく
子育ての大切さ。
娘に「こう生きろ」と
言ったことはありません。

 

フリーアナウンサー・梶原しげるさん●プロフィール
1950年神奈川県生まれ。早稲田大学法学部卒。文化放送アナウンサーを経て1992年からフリー。ラジオパーソナリティー、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)、日本語検定審議委員。『口のきき方』『すべらない敬語』『即答するバカ』『英語、はじめました。』他著書多数。日本民間放送連盟賞生放送部門受賞、レコード大賞企画賞ノミネートなど受賞歴多数。イングリッシュ演歌家元シーゲル・カジワラの顔も。

中学生のときに出かけた
ニューヨーク二人旅で
父へのリスペクトが
深まりました。

音楽家・梶原もも子さん●プロフィール
1981年東京都生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒。幼少よりバレエ、ピアノ、中学から声楽を学ぶ。高校で米国留学。帰国後ボーカルデュオ「ピコマコ」としてデビュー。2006年NYへ移住。2013年ミシガン州へ移住。2015年に日本語幼児教室を発足。現在は日本語音楽コミュニティ「トモダチソングス」主宰。定期的にファミリー向けの日本語おはなし会や歌のイベントを開催。Music Together®講師。2児の母。

夢を持って生きる
親の背中を見て子は夢を描く
それを実証してくれた2人
愛に満ちた時間でした。

お母さん業界新聞編集長・藤本裕子●プロフィール
1956年福岡県生まれ。1989年「トランタン新聞」創刊。2002年現「お母さん業界新聞」をリニューアル創刊、お母さん大学を発足。さまざまな子育て支援事業を手がける。

 

 

子育てに関しては
声が小さくなる梶原さん

藤本/早速ですがお父様であるしげるさん、
はじめて娘のもも子さんと出会った日のことを教えていただけますか?

しげる/娘が生まれた日ですか? 仲間と外で飲んでいましたね。
当時は通信手段もなく、友人から「そろそろじゃない?」と言われて病院へ。
真っ赤な顔をした赤ちゃんを見ても、正直実感がわかなかったですね。
24歳で文化放送に入社、31歳といえばようやく自分の番組を持てた頃。
自分が楽しんでいた時期で、親の自覚なんてさっぱり。
家庭生活にまともに取り組んでいませんでしたし、
働くことを言い訳にして、ネグレクトですよ。
でも今ならわかる。仕事より何より、
子どもを育てることのほうがよほど大切なことなのに、
そんなこと言う人はいませんでした。

藤本/それが許された時代?

しげる/認められていたとんでもない時代。
子ども以前に、妻には申し訳なかったなぁと。
昔も今も世界で一番大切な人。
ですから、できるだけ奥さん孝行をしようと、懺悔の日々ですよ。

藤本/それはいいですね。今からでも遅くはありません。
もも子さんから見て、その頃のお父様はどうでしたか?

もも子/小さいときは、
父がテレビやラジオに出ていることが恥ずかしくて嫌でした。
家にいる姿とはもちろん違います。
遊んでもらった記憶も、あまりありません(笑)。

しげる/恥ずかしながら父親のアリバイづくりというか、
勝手に計画しては海外旅行に連れていきました。
休みが取れると会社に手配を依頼し「今度は○○へ行くぞ!」と。
妻や子どもの都合も何もありません。
実際に子どものためにはなっていなかったと思いますが、
父親らしいことをしたかったのでしょうね。
親として選択肢はたくさん示したけれど、
こう生きろと言ったことは一度もないつもりです。

もも子/昔から世話好きで研究熱心な父でしたから、
いつも情報やチャンスを与えてくれました。
でも私は自分で考えてやりたくて、
父のセッティングには素直に従えない時期もありました。
高校のときに1年間アメリカのオハイオ州に留学しましたが、
父の果たせなかった夢でもありました。
そういうものを託されたのかなと思います。
私も親になり、子どもに託したくなる気持ちはわかるし、
それが100%間違ってもいないと思えます。
現に身近に海外があった環境はすべて、今の私につながっています。

藤本/ご著書をたくさん拝読しましたが、
中でも、もも子さんが登場する
『英語、はじめました。』(中経出版)の冒頭に
「いまさら、という〈さら〉は、すぐに床にたたき付けて割ってしまえ!」
との一文があり、一気に心を奪われました。
どれも読みやすく、言葉選びのセンスを感じました。
さすが話しのプロですね。

しげる/話すためには「聞くこと」。
相手とのコミュニケーションがすべてです。
40代で人生に迷っていたときに、
当時筑波大学で心理学を教えていた國分康孝先生の本に書店で出会い、
この人に学びたいと思いました。
まずは大学院受験のための予備校に通い、
國分先生が東京成徳大学大学院に移られたと知り、
成徳の大学院に進むことを決意しました。
周りが素晴らしい方ばかりで、自分が怠けているわけにはいかない、
もっと学びたいという思いが常にあります。
今は通訳の学校に通っています。
終電まで学ぼうという一風変わった学校で、何時間も英語で話し続けるんです。

藤本/コミュニケーションが大切というのはもっともですね。
それにしても、心理学に英語、そこまで真剣に取り組まれるのはなぜですか?

しげる/ぼくはナマクラですが、学ぶ人たちの空間が好きなんでしょうね。
生きるということは学びの連続で、
次の舞台を用意するのは自分自身だと思っています。

藤本/お母さんは子どもを優先しがちですが、
自分の人生を生きることが大事だと私も伝えています。
大人になってからの勉強は楽しいですね。

しげる/心理学といえば、
少し学んだぼくが「お母さん業界新聞」7月号を読んで気づいたことがあります。
子育てのストレスに「イライラさん」と名づけて対処しているという
山田あさ美さんという方の記事
イライラを外在化する(自分と切り離す)ことで、
自分のせいではないと客観視することができる。
お母さんたちにはとても有益なカウンセリング手法です。

藤本/外在化…はじめて聞く言葉です。
山田さんもきっと、無意識にやり、発信したのだと思います。

しげる/ほかにも、自分を「母」と称し、
子どもさんとの出来事を客観的に書かれた記事もありました。
これが自然にできているのは素晴らしいことです。

藤本/慌ただしい毎日の中で、わずかな時間でもペンを持つと、
客観的に子どもを見つめたり、冷静に自分に向き合うことができる。
ペンを持つ最大の意味です。

アメリカで男の子2人を
育てている、もも子さん

藤本/アメリカに嫁ぎ、
2人の男の子のお母さんになったもも子さん。
お母さん業はいかがですか?

もも子/アメリカ暮らしは長く、
その苦労はありませんが、子育ては日々修行です。
兄弟でも全く性格が違っていて、本当にびっくりします。

藤本/今は一時帰国中だそうですね。

もも子/毎年この時期に帰ってくるのですが、
帰国中は地域の公立小学校と幼稚園に通い給食までいただける、
素晴らしい制度があるんです。

藤本/お子さんたちにもとてもいい経験で、成長が楽しみですね。
国際結婚をされたいきさつを教えてください。

もも子/実は、夫は留学先のホストファミリーだったのですが、
帰国後しばらくしてから日本で再会しました。ご縁ですね。
彼のお母様が来日し、私に会いたいと言ってくれたことがきっかけでした。
ラッキーなことに、姑は私のホストマザーです。
彼の故郷で挙げた結婚式はコンサートのようなスタイルで、
私は彼とデュエット、父も歌ってくれました。
披露パーティーは動物園で行いました。
動物好きだった彼、普通はつまらないねと2人の意見が一致。
ウェディングドレス姿の私の横にマントヒヒが写っています。

藤本/動物園でウェディング⁉
コンサート結婚式というのもワクワクしますね。
アメリカでは音楽を教えていらっしゃるそうですが、詳しく聞かせてください。

もも子/ミシガン州で、
音楽でコミュニケーションする音楽教室をしています。
教室ではアカペラで歌います。
高価な楽器は必要なく、誰でも体で音楽を楽しもうというプログラムです。
当初は駐在中の日本人向けだったのですが、
最近は外国の方も多くなってきました。
お子さんは自由にしてもらい、お父さんお母さんが歌うのです。
両親が歌う姿を見て、音楽は楽しいものだと学んでほしいのです。

藤本/日本は深刻なストレス社会で、
お母さんたちも毎日イライラしています。
生活の中に自然に音楽があれば気持ちも癒される。
お母さんの歌声は大事ですし、とてもいいプログラムですね。

もも子/お腹にいたときから聞いていた声ですからね。

藤本/お父様としては、
娘さんが彼と結婚したいと言ったとき、どう思いましたか?

しげる/国際結婚は問題じゃない。ウェルカムでしたよ。

もも子/そうだったかしら…。

しげる/会ってすぐに人格者だと感じました。
日本人でもこんなに穏やかで素晴らしい人間は滅多にいない。
本当に家族になってくれたらいいなと思いました。
東日本大震災のときも心配して、直接彼が私に連絡をしてきてくれました。
ありがたいことです。

藤本/子育て生活の中で大切にしていることは何ですか?

もも子/七夕など、日本の季節行事を忘れないようにしています。
もちろんアメリカの行事もあるので、毎月イベントがたくさん。
節目を大切にしたいなと思います。

しげる/最近日本ではあまり、家庭で行事を行わないようですね。
娘は半分アメリカ人になっているから、
スペシャルイベントにしたいと思うのかもしれませんね。

藤本/イベントは子どもたちの記憶にも残りますね。
それから、もも子さんは
ニューヨークでミュージカルにも出演されていたそうで、
素晴らしいご経歴ですね。

もも子/それは父のおかげです。
3歳で宝塚歌劇を観てミュージカルが好きになり、
どうしても本場ブロードウェイのショーを観たくて、
中学のとき父と2人でニューヨークに行きました。
言葉はわからなかったけれど衝撃を受けました。
英語が理解できたらどれほど感動するだろうと想像し鳥肌が立ちました。
それからですね、英語を話したいと本気で思ったのは。
受験のための勉強では英語は身につかない。
何かをやりたいという目標があってはじめて英語が使えるのだと思います。

しげる/「教える」という概念が変わってきています。
昔はメソッドがあり、1から順にやっていく方法でしたが、
今はカウンセリングをして「どこから何をやりたい?」と聞いてくれる。
学校教育がオーダーメイドになるのは難しいのでしょうが、
教育事情は激しく変化していますね。

もも子/ニューヨークで父は、
タクシーでもレストランでもどんどん英語を話していたんです。
恥ずかしがらず堂々とした父の姿から、
相手に伝えようとすることが大切なのだと学びました。

藤本/やはりお父様の影響が大きいのですね。
やりたいことにとことん打ち込むところも同じですね。

もも子/人前に出たり、パフォーマンスをしたりすることにも、
どこかで惹かれていった。
そのあたりも受け継いでいるのだと思います。

音楽と英語という
共通の夢を描く父と娘

藤本/今日のきっかけは、
お母さん大学のテーマソングでもある『はじめての日』という曲ですが、
もも子さんも歌ってくださったのですよね。

もも子/ものすごく感動して曲を聴いたその日に写譜し、
すぐにレコーディングをしました。
お母さんなら誰しも心動かされる曲。
この曲を通じてたくさんの人に”はじめての日“を思い出してもらいたい。
英語でも歌いたいと思っています。
ただ翻訳は単純ではなく、文化の違いがあるので、
本質の部分を伝わるようにするのが難しいかもしれません。

藤本/最後にお2人の「夢」を聞かせてください。

もも子/来年は、アメリカでコンサートを開きたいですね。
それまでに『はじめての日』の歌詞を訳さないと。

しげる/長生きかな。愛犬と過ごし、
新しい感覚で生まれた孫たちの成長を楽しみに。
そうした日常の幸せを感じながら、やり残しのない人生にしたいですね。
今はギターの個人レッスンを受けています。
生きている限り、美しいと思える音楽に触れることが醍醐味ですから。

藤本/夢を持って生きている親の背中を見て、子どもは夢を抱く…。
最後は、音楽と英語という共通の夢できれいにまとめてくださいましたね。
子育てに正解はなく、親子のカタチも一つではありませんが、
親が子を思う気持ちは万国共通。またいつの時代も変わらないものですね。
本日は本当にどうもありがとうございました。

◎読者プレゼント
梶原しげるさん著書『英語、はじめました。』
中経出版刊 1300円+税)を3名様にプレゼントします。
ご応募は、件名「英語、はじめました。」とし、
①名前②住所③ケータイ④アドレスを
お母さん大学 info@30ans.com へメールください。

(お母さん業界新聞1908/特集)

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