「親という字は、木に立って見ると書く。それが子に対する親の役割」なんて、どの口が言ったのか。
言ったのは、数年前の私。今もできていないじゃない、と苦笑い。
小学1年生の娘が、夏休み明けに登校渋りや拒否をしはじめた。
彼女の意志だ。
どうしようもないとはわかっていても、「私」の心がモヤモヤして、
叱ったり問い詰めたり、押し出すように登校させたりもした。
見守ろうと思いつつ、いったい何がそうさせているのか?
おそらく彼女に問題はなく。
その出来事に向き合う私自身の心の葛藤が問題だ。
これまたほとんどの場合「私」がそれを許さず、許すことで「私」が、
この先起こるかもしれないことを、勝手に想像していることが多い気がする。
それがわかって、腑に落ちてきたのは、ほんとに最近のことだ。
いろいろ言いたくなるが、目の前の出来事と自分にわき上がるものをごっちゃにしちゃいけない。
今も感情が先走ることはたくさんあるけれど、
出来事をチャンスと見て、後からでも自身を見つめるように。
すると、心が少し静かになってくる。
さて、前述の娘さん。
嫌なことももちろんあるけど、好きなことや気の合う仲間も見つけ、
彼女なりにエンジョイしている様子。
子どもも一人の人間で、そこには一つの人生がある。
つい親は自分の気持ちを押しつけてしまいがちだけれど、そんな
ときは少し離れて自分の心を見つめる。
「親」という字は、私たちの心のあり方を示しているのかもしれない。
(江崎香保里)
(お母さん業界新聞ちっご版Vol.61 2020年3月号 1面 おっかしゃんリレー)
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