娘に「おばあちゃんから何て呼ばれていたの?」と聞かれ、
答えられなかった私。
母に何て呼ばれていたんだろう? 微かな記憶を辿りつつ…
「ゆうこさん? ゆうこ?だったかなぁ」と答えると、
そんなことも覚えてないの?と、呆れられた。
母との思い出は数えるほど。
今も鮮明に覚えているのは、私が幼稚園のとき。
先生の机の中に美しいブローチを見つけ、
私はそれを母にあげたくて、園バッグに入れ持ち帰ってしまった。
母には「拾った」と嘘をつくと、すごい形相で私をひっぱたき、
手を引っ張って外へ連れ出し、
泣きながら、家の前を流れていた川にブローチを投げ捨てた。
シングルマザーだった母。
水商売で、女手一つで育てているからって、
あんたを人の物を盗むような子に育てた覚えはない。
というようなことをわめいていたような…。
母はなぜ、ブローチを持って幼稚園に行き、
先生に詫びなかったのだろう。
子ども心にそれが気になり、心の傷として今も残っている。
私が人一倍、正義感の強い人になったのは、母のおかげかもしれない。
ふと、娘たちは私が死んだ後、私をどう語るのだろうと想像してみた。
「じゃがいもの煮っころがしが美味しい」と言うと、何日も続けてつくる人
個人面談で先生の言葉に疑問を感じると、
「あなたはどんな生き方をされているんですか?」と説教する人
中学校の初弁当の日寝坊して、ごはんと梅干しだけのお弁当を平気で持たせる人…と
自慢できないことばかり。
母親失格の私が「お母さん業界新聞」をつくっている、しかも30年も。
笑えるような、笑えない話。
おかげで長女は、朝早く起きて、わが子に色とりどりのお弁当をつくる。
まだある。全財産が10万円しかなかったとしても、
欲しいと思ったら平気で10万を使ってしまう、私を見ているから、
どの子も倹約家に育ってしまった。
一緒に買物に行っても、「買いなさい、買いなさい」と言う私に、
「いらない、いらない」と言う娘たち。
好きなことばかりやってきた母を見ているのに
娘たちは慎重派で、好きなことすらしようとしない。
なぜか、私の人生の痕跡は娘たちの中にはないようだ。
あれ? 「育てたように子は育つ」って、有名な先生が言っていたような…。
いや、子どもは、育てたように育ちません!
私の尊敬する小篠綾子さんの言葉が、殊更深く、心に響く。
「子どもはほっといたらええねん。何もせんかったらまっすぐ育つ。
親が余計なことするから曲がるんやで!」と。
(お母さん業界新聞8月号 編集長コラム百万母力)
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