お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

MJレポート 里親を始めました どの子もみんな社会の宝です

齊木聖子さんと、娘の仁子ちゃん

NPO法人日本こども支援協会によると、現在、日本で親と離れて暮らす子どもは約4万5000⼈。そのうち家庭的養育を受けている子どもは13.3%程度と、世界に比べるとかなり低い水準だ。

今年2月に里親の活動をスタートした、大牟田市在住のお母さん大学生、齊木聖子さんは、小学1年生の女の子のお母さん。

15年間の夜間託児所経営、5回の流産、また自身が父子家庭で育った経験などを経て今、彼女が大切にしていること、お母さんたちに伝えたいことなどを聞いた。

(レポート/池田彩)

夜間託児所を経て

25歳の独身時から15年間、夜間託児所を経営。娘を産んでからも続けていましたが、もともと預かる子どもを増やしたいわけではなかったこと、自分の子育てとのギャップも出てきたことから、娘が3歳になった際に閉所しました。

当時預かっていた子どもたちとは、毎月1回「お泊り会」を開き、翌日は私が主宰する「プレーパークおおむた遊ばせ隊」で遊んでいます。子どもたちの成長を見守るのと同時に、お母さんたちの話を聞くなど、私なりにできる範囲のサポートを続けています。

5人の天使

掻爬手術と化学流産を合わせ、5人の赤ちゃんをお空に返しました。調べても悪いところはなく、原因はわからないままです。3回目は自然流産を待っていましたが、大量出血に。

ショックで倒れて意識を失い、麻酔なしで掻爬手術を受けるという、生死をかけた壮絶な体験をし、初めて妊娠が怖いと思いました。

娘にきょうだいをとずっと思ってきましたが、夫婦で話し合い、2人目は完全に諦めることにしました。

里親になりたいけれど

子どもはみんなかわいい!
流産を繰り返し、頭に浮かんできたのは、「里親」の文字でした。でもそれには、夫はもちろん、わが家は同居のため義父母の理解も不可欠です。

初めて相談したときは、流産をしたばかりだったこともあり、「里親なんかやめて!」と言われました。私は託児所をしてきた経験から、子育ての大切さやいろんな子どもたちと関わることの素晴らしさはわかりますが、そうではない義父母が抵抗感を持つのは当たり前。

そこで、ほかの子どもたちが家に来ることを味わってもらおうと、自宅で「お泊り会」をしたり、「お母さん業界新聞の折々おしゃべり会」を開いたり…。徐々に、娘以外の子どもが家に来ることを、当たり前にしていきました。

娘のためにも

「絶対、仁子ちゃんのためになります」そう断言してくれたのは、里親会の会長さんでした。3歳まで、私が経営する託児所で過ごした娘ですが、集団の中でとても豊かに育っていることを実感しています。

また社会には、本当に家庭のあたたかさを必要としている子どもたちがたくさんいることも知っています。うちの子さえよければいいではなく、どの子もみんな大事な社会の宝物。そんな気持ちがますます強くなっていきました。

養育里親研修受講後に登録申請の書類を提出。夫と義父母がいるときに児童相談所の方に説明に来てもらいました。すると子どもへの思いが伝わったのか、義父も、「夫婦の問題だから、夫がOKなら」と言ってくれました。

2月3日、児相による審査会を経て、晴れて正式登録ができました。里親になろうと決意して2年が経つ頃でした。

はじめての里子ちゃん

登録完了通知が届く前、「明後日から3歳の女の子を一時保護できる里親さんを探している」と電話がありました。

実母のレスパイト(休息)で、11泊12日とやや長期間の預かり。しかも少し難しい子との情報に不安もあったため、「持ち帰って家族に相談します」と返し、娘にも聞いてみることに。結果、娘の「いいよ!」の即答に勇気をもらい、家族全員が引き受けることを快諾。

実際、大変さはありつつも、あの手この手でなんとか対応。娘もお姉ちゃんぶりを存分に発揮、しっかりお世話をしてくれました。そして里子ちゃんが帰った後のこと。「かわいかったね。今頃どうしてるかな」「毎回違う子よりも、できれば同じ子を預かりたいね」義父母を含め、口々にそう話す家族。「子どもの力」の大きさを改めて確信しています。

みんながセカンドママに

4歳のときに母を亡くし、父子家庭で育った私です。母親のぬくもりを求め、ずっとさみしさを抱えていました。それでもご近所に、セカンドママやセカンドハウスがいくつもあり、いろんな人たちに育ててもらい、今があります。

現代は個人情報保護法や守秘義務などもあって、問題を抱えている親子が地域で孤立してしまっているケースが増えています。かつての私のように、本来はみんなで子育てをしたほうがよいのですが…。

子どもは親を選べませんが、一人でもその子を大切に思う大人がいれば、迷ったり悩んだりしたときに、前に進む力になります。みんながわが子と同じように接し関わること。それが叶えられれば、やさしい社会になるはずです。

「あのとき、聖子ちゃんと一緒にいて楽しかった」という、その子にとって心のよりどころとなる確かな記憶をつくるために、セカンドママになります。そして、私の成長を見届けたかったであろう亡き母の分まで、これからも、さまざまなカタチで子どもたちの成長を感じられる活動を続けたいと思います。