お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

「そこほぼロシアじゃん」と 言われる稚内に住んでいます

稚内市からこんにちは!

東京でサラリーマンを経た後、4年前に移住しゲストハウスを家族で経営している武重美亜です。

ロシアとの国境までの距離はなんと40メートル。最寄りのセブンイレブンまではひたすら南下すること148キロメートル。まさに陸の孤島と呼ぶに相応しい日本最北端の街、稚内。

「稚内」の名前の由来は、アイヌ語で「冷たい水の出る沢」という意味です。真夏でも25℃を超える日は少なく、冬は北風がビュンビュン吹き付ける寒い土地です。

吹き曝しの海岸沿いに佇む、昆布漁のための朽ちた倉庫たちの趣深さと言ったら!

かつて漁で栄えた昭和ロマン漂う街並みは、演歌がよく似合います。歌詞には「北の〜」とか「海が〜」とかが頻出するやつです、絶対。

「なぜそんな稚内へ?」とよく聞かれます。

「物件があったから」と答えています。宿をやりたくて移住地を検討していたところ、とある居酒屋のママが「あ! 私の友人が売りに出している元ユースホステルがある」と教えてくれ、持ち主に連絡を入れ物件を購入。今に至ります。

実際に住んでみたら、まあ風の強いこと。顔面に容赦なく吹き付けてくる雪に嫌気が差し「なぜ稚内に…」と自問せざるを得ない環境です。

そんな土地に育てられているのが娘(4歳)です。

歩くことじたいが遊びだった1〜2歳の頃は、雪を踏むのが楽しいらしく、いつまでも歩いていました。買い物に行くときは、荷物を運ぶためにソリを持ち出します。どんなに寒くても外へ行きたくて、暴風雪の日以外は毎日外で遊びました。

室内では薄い長袖シャツ一枚。ぬくぬくに着膨れした私は「寒い」と四六時中愚痴をこぼしますが、娘はそんなこと一切口に出しません。さすが道産子は我慢強いなと、わが子ながらに感心していました。

そんな娘ですが、15℃を超えたくらいの、こちらでいう初夏の気持ちの良い日に、愚痴をこぼしました。

「暑い」そう言いながら小さな手でしきりに自分を仰いでいました。